Himagine雑記

思いついたときに気ままに書く雑記帳

 蓮咲く

      
 我が家の下の蓮田に、早くもぽつんぽつんと蓮の花が咲いた。カメラを構えると、あたりにいい香りが漂う。原産地がインド・中国・オーストラリアと、かなり幅が広い。根茎、つまり蓮根はレンコンと書けばなじみ深い、おいしい根物野菜である。子どもの頃、蜂の素状の穴に入った果実をそのまま食べたが、渋いばかりでおいしくはなかった。蓮の古名を「はちす(蜂巣)」というのはこの形状から来ているのだろう。 
      
 曉のころ蕾が開くとき、ポッと音がするというが、昨年まではまだ聞いたことがないので、今年は天気のいい早朝に行って聞いてみたい。ここ、古市の蓮田ははレンコン栽培用の品種なので花は殆ど見られないので、蓮見船を出すという風流な景はない。蓮の葉は水をよくはじくので、葉にたまった雨滴が風の吹くたびに丸くコロコロ転がって美しい。蓮の花は夏の季語である。
      
 この花は仏教の世界では「蓮華(花)」と呼ばれ、極楽の象徴ともいうべき花である。「蓮の台(うてな)」は仏のお座りになる台座のことで、仏様そのものの象徴でもある。春の七草ホトケノザも真上から見ると蓮座に見える。不祝儀袋に蓮を印刷してあるのを見かけるが、故人を仏として偲ぶという思い入れが強すぎるような気がして、違和感を感じる。
 俳句の世界では、秋になって緑を失い、だんだん傷ついていく蓮の様子を秋の風情として詠み、「敗蓮(やれはす)」という秋の季語としている。さらに葉が落ち、茎が折れてしまった無惨な姿に変わり果てた風情を「枯蓮(かれはす、かれはちす)」と詠み、これは冬の季語となっている。
 蓮は、古くより俳人たちから夏も秋も冬も注目されて、季節ごとの独特の風情を詠まれているわけである。そのような蓮に恵まれたところに住んでいるのに、これといった満足のいく蓮の句が詠めたためしがない。
蓮の香や水をはなるる茎二寸 与謝野蕪村
蓮葉の濁りに染まぬ心もてなにかは露を玉とあざむく 遍昭古今集