Himagine雑記

思いついたときに気ままに書く雑記帳

 枯れる

水仙や早梅を見ると春遠からじと思うが、多くの植物は枯れ、まだ寒々とした冬ざれの風景である。我が家の下の方に広がる蓮畑の蓮の葉も、秋の敗蓮(やれはす)から、さらに茎が折れてまさに「矢尽き刀折れ」た枯蓮がまるで敗残兵の群のような荒涼とした風景を見せている。
      
      枯蓮をうつす水さへなかりけり  安住 敦 
      蓮十里尽(ことごと)く枯れてしまひけり  正岡子規
などは枯蓮田の情景がよく見える句であるあるが、
      一切を拒みてぞ蓮枯れにけり  有働 亨
の句は、濁世を清廉に生きた男の一生の潔さを思わせる。
      
      枯芭蕉いのちのありてそよぎけり  草間時彦
近くの道路脇にある芭蕉の大きな葉も、すっかり枯れている。ついていた実の房は黒く萎んだままである。
植物は季節ごとにその季節の役目を果たし、一年で枯れるが、いのちは次の季節にふたたび生き返る。哺乳類霊長目のヒトは、他の動物と同じように一生に一度だけ枯れ、やがて朽ち果てる。今や少子高齢化時代。なんだか高齢化そのものがマイナスイメージでとらえられているが、人間だんだん枯れていくと、若いときになかった人間の味が出てくるものだ。「枯淡」という言葉があるが、「俗気や欲気がなく、あっさりしている中にも、渋く深いおもむきのあること」と辞書にある。高齢化に歯止めをかけるためには、一定年齢になったら死んで貰うなどということはできないので、やはり歯止めをかけるべきは「少子化」の方であろう。福島瑞穂大臣にシャンとして貰わねばならぬ。高齢者を年金や医療費で虐めると、「枯淡」の境地に入る前に、「コトン」といってしまいかねない。長老、老中、大老などというのは賢者、重責にある人物として尊ばれこそすれ、「老」は、「老練」などと年功・経験を積んだ、ものなれた人物というプラスイメージも多い。もっとも、世俗の経験を積み、悪賢く狡猾な「老獪」な政治屋的政治家もいるにはいるが…
苅田後に青々と芽を出していたひつじ田のひこばえも、夏に真っ赤に燃えていたカンナもすっかり枯れて、次の季節の準備をしている。
 
枯れ葉が数枚残っている櫟の枝先に、かたい小さな芽らしきものがふくらんでいた。晩秋から冬の季節の草木の枯れた一見淋しい風景の中に、生けるものの命の終わりと次の命の胎動を感じつつ散策するのも悪くないものだ。