Himagine雑記

思いついたときに気ままに書く雑記帳

 蝉時雨

朝6時半のラジオ体操の始まる頃には、すでに公園の木々のクマゼミが一斉に、ひとときも絶えずに大合唱である。蝉時雨という雅語があるが、時雨というより蝉「豪雨」に近い。

写真左からクマゼミアブラゼミ、ミンミンゼミ、ニイニイゼミ
昔はニイニイゼミに始まって油照りのように暑苦く鳴くアブラゼミ、続いてクマゼミ、ミンミンゼミ、ツクツクボウシ、そしてだんだん暑気が衰えるにつれてヒグラシの物寂しい声を聞くというふうにだいたい順番があったようなのだが、最近はこのパターンが崩れているように思う。第一あの耳鳴りのようなニイニイゼミの声を聞かないし、アブラゼミの声も少ない。今年は梅雨明けとともにいち早くクマゼミが鳴き出し、今が盛りである。
閑かさや岩にしみ入る蝉の声  松尾芭蕉
人口に膾炙した有名な句であるが、奥の細道の旅の途中、立石寺に立ち寄ったとき詠んだ句である。文中の「…日いまだ暮れず。麓の坊に宿かり置きて、山上の堂にのぼる。…岸をめぐり、岩を這ひて、仏閣を拝し、佳景寂寞として心澄行くのみおぼゆ。…」とあって、そのあとにこの句が配されている。
名吟といわれるこの句を、芭蕉はいくつかの推敲の末に成している。
・山寺や石にしみつく蝉の声 (曽良書留)
・淋しさや岩にしみ込せみの声 (木がらし)
・さびしさや岩にしみ込蝉のこゑ (初蝉・泊船集)
○閑さや岩にしみ入蝉の声

 さて、この句については、蝉はいったい何ゼミかという論争があったらしい。斎藤茂吉の油蝉説に対して小宮豊隆は、細く澄んだ声で鳴くニイニイゼミがもっともふさわしいと反論。その後実地調査が行われ、この句を詠んだ旧暦の5月27日、現行暦7月13日の立石寺で鳴く蝉はニイニイゼミしかいなかったという科学的実証により、ニイニイゼミ説が今は定説だそうだ。ところで、蝉は1匹だったか、複数だったか。志田義秀は、「岩にしみ入る」という表現から1匹説、麻生磯次は初蝉で数匹だと言い、横澤三郎は群生説を採っているが、数については今のところ定説はないらしい。この句は外国語訳もあるほど有名であるが、訳文では単数で書かれているという。
 ある俳句雑誌で、古池や蛙飛び込む水の音の蛙は何匹か、という大まじめな論争が特集されていたが、Himagineより暇な俳人たちがいるものだ。本当のことは芭蕉さんに聞くしかあるまい。俳句はあまりいじり回さずに、読み手が自由に解釈できるからおもしろいのだが。
暮れてなお命のかぎり蝉時雨
この句は、蝉時雨と聞いて必ず思い出す句である。作者は元内閣総理大臣従六位大勲位中曽根康弘氏である。氏は自民党が決めた比例代表候補資格の73歳の年齢制限で、しぶしぶ立候補をを取りやめざるを得なかった。このとき、「これはテロだ」と唇をふるわせて怒った氏の大写しの顔をテレビの画面で見たことを思い出す。掲句はこの頃か、あるいは政界引退後に詠んだのではなかろうか、何ともナマグサイ句ではある。氏は今なお意気軒昂で、自主憲法制定運動をライフワークとする92歳の保守の重鎮である。
芭蕉さんの「蛙」や「蝉」で思い出したが、「蛙鳴蝉噪(あめいせんそう)という四字熟語がある。やかましいばかりで、あまり役に立たない議論などを言うが、先の民主党の議員総会の時の、参院選敗北の責任を執行部に迫る議論などはまさに、蛙や蝉の騒がしさに似ていた。今日始まった予算委員会の論戦も似たり寄ったりだった。
さて、明日の朝のラジオ体操も、土砂降りのような熊蝉の大音声の下で一汗かこう。
ブブゼラのごと熊蝉の朝を告ぐ  古希漢

(文中の、蝉の種類や数についての論争の部分は、『歳時記の真実』石寒太著、文春新書による)