Himagine雑記

思いついたときに気ままに書く雑記帳

 糸瓜忌ーその2−

 子規に関して学ぶときに読むべき4つの随筆があるということを何かで読んで、手持ちの『病牀六尺』以外の3冊を、廉価なAmazonの中古本(岩波文庫)を買い求めました。4冊の随筆とは以下の通り。
「松蘿玉液」 明治29年4月21日〜12月31日 新聞「日本」に32回連載
「墨汁一滴」 明治34年1月26日〜同7月2日 「日本」164回連載
「仰臥漫録」 明治34年9月2日〜明治35年3月12日 半紙に記録
「病牀六尺」 明治35年5月5日〜同9月17日 「日本」127回連載
4つのうち、ただ一つ公表していない「仰臥漫録」は子規35歳、既にその肺は左右ともに大半空洞となっていて、医師の目にも生存自体が奇蹟とされていたという頃の随筆です。文字通り仰向けに臥したままの姿勢で、枕辺に置いてある半紙を綴じたものに毛筆でしたため続けました。結核、脊髄カリエスの病勢はいよいよ募り、春以来は麻痺剤を使い足は腫れ、自力では寝返りも打てない子規の世界はまさに六尺の病牀という限定せられた空間です。そんな極限状況の中でも、四季の変化を庭に見える花や鳥の声、日の光、空気にとらえて絵に描いたり句歌に詠んだりしています。
   
このような子規の病牀六尺の世界の日課は見舞客の応対の他は、三度の食事と、間食・服薬・カリエス患部の繃帯の交換・睡眠・便通と判で押したような単調な日々の繰り返しに過ぎません。そんな子規にとって生きることのあかしの一つは、食べることでした。

九月二十一日 彼岸の入り 昨夜より朝にかけて大雨 夕晴
便通 繃帯とりかへ
朝 ぬく飯三わん 佃煮 梅干 牛乳一合ココア入り 菓子パン 塩せんべい
午 まぐろのさしみ 粥二わん なら漬 胡桃煮付 大根もみ 梨一つ
便通
間食 餅菓子一、二個 菓子パン 塩せんべい 渋茶 食過のためか苦し
晩  きすの魚田二尾 ふきなます二椀 なら漬 さしみの残り 粥三わん 梨一つ 葡萄一房

驚嘆すべき、恐るべき食欲!!しかしさすがに「この頃食ひ過ぎて食後いつも吐きかへす」「今日夕方大食のためにや例の下腹いたくてたまらず、暫くして屁出で筋ゆるむ」と書き留めている日もあります。
「病牀六尺」の書き始めは明治35年5月5日です。弟子の高浜虚子が口述筆記しますが、それは「病牀六尺、これが我世界である。しかもこの六尺の病牀が余には広すぎるのである。」と始まります。連載が百回を数えたとき、子規は百日生きた自分を喜び、かつ、危ぶみながら継続の期待を後の百日、二百日につなぎます。「半年以上もすれば梅の花が咲いて来る。果して病人の眼中に梅の花が咲くであろうか」と。日本新聞が子規の病状を心配して、休載の日を作ったことがありました。このとき子規はこう訴えました。
撲ノ今日ノ生命ハ『病牀六尺』ニアルノデス。毎朝寝起ニハ死ヌル程苦シイノデス。其中デ新聞ヲアケテ病牀六尺ヲ見ルト僅カニ蘇ルノデス。今朝新聞ヲ見タ時ノ苦シサ。病牀六尺ガナイノデ泣キ出シマシタ。ドーモタマリマセン。若シ出来ルナラ少シデモ(半分デモ)載セテ戴イタラ命ガ助カリマス。」五体の激痛に呻吟しながらもこの書くことへの執念、「絶叫。号泣。ますます絶叫する。ますます号泣する。その苦しみ其の痛み何とも形容することは出来ない。」母と妹が買い物に出ていたある日、子規は硯箱にあった二寸ばかりの小刀と千枚通しの錐で自殺を図ろうとします。病苦の上に我が身を傷つける苦痛を思うと決断できず、ためらっているときに家人が帰り思いとどまります。子規は後にこの小刀と錐をスケッチさえしているのです。
  

新聞「日本」に連載された「病牀六尺」の最終回は明治35年9月17日の日付をもつ127回ですが、これが子規の公表した最後の文章となります。その末尾に「俳病の夢見るならんほとゝぎす拷問などに誰がかけたか」とあります。
この稿が新聞に載った翌9月18日、覚悟の子規は妹・律や弟子の河東碧梧桐らに支えられて辛うじて筆を持ち、画板に張った唐紙に辞世の句を書き付けました。
糸瓜咲て痰のつまりし仏かな」。痰を切り、ひと息入れて「痰一斗糸瓜の水も間にあはず」。またひと休みして、「をととひのへちまの水も取らざりき」。そこで筆を投げ、穂先がシーツを僅かに汚しました。全身の激痛に呻きながらも自己を客観視したこの自嘲的なユーモアはどうでしょう。そしてその日のうちに昏睡に陥り、越えた19日の午前1時に息を引き取りました。満35歳になる直前でした。
      
樋口一葉石川啄木も早世しましたが、子規もまた30代の若い〈晩年〉にすでに老成した文章を書き、普通の人より2倍も3倍も早いスピードで生涯を駆け抜けたのでした。文学者の忌日は歳時記に季語として記載されていますが、毎年9月の彼岸が近づくと子規忌を思い出すのです。

つくつくぼーしつくつくぼーしばかりなり 子規
糸瓜忌や盛り過ぎたる瓜の棚

〈写真は『仰臥漫録』(岩波文庫)より転載〉