Himagine雑記

思いついたときに気ままに書く雑記帳

 錦秋

            
    紅 葉

一 秋の夕日に照る山紅葉、
   濃いも薄いも数ある中に、
    松をいろどる楓や蔦は、
     山のふもとの裾模様。
二 渓の流に散り浮く紅葉、
   波にゆられて離れて寄って、
    赤や黄色の色様々に、
     水の上にも織る錦 

  尋常小学唱歌(二) 明治44、6
  高野辰之 詞  岡野貞一 曲     (『日本唱歌集』岩波文庫より)

日本人の美意識には四季の花鳥風月への感興がある。網膜に写った美しいものは側頭葉で言語化され、人は美しい詩を詠む。上の高野辰之の唱歌「紅葉」は、我々が見た晩秋の風景、紅葉の美しさがそのまま歌われているから誰にでも親しまれている。もちろん我が豊声会の愛唱歌の一つでもある。落葉樹の葉は、最低気温が8度c未満になると紅や黄色に変色しやがて落葉するが、気温だけでなく、水分や日照の量や、木の種類や生育場所によって葉の色や落葉の時期は微妙に違ってくる。冒頭の写真は城址の楓だが、訪れた18日がちょうど見頃であった。「紅葉」の歌詞1番の初め‘夕日に照る山紅葉’とあるが、紅・黄葉した木々が太陽に照り映える様を俳句歳時記では照葉(てりは)または照紅葉(てりもみじ)として季語にあげている。
から堀のなかに道ある照葉かな  与謝蕪村 
        
 用作(ゆうじゃく)公園のベストショットはやはり心字池に映る逆さ紅・黄葉である。やや盛りが過ぎたと思えるのは、前日の雨のせいもあるのかもしれない。きれいに散り積もった楓落ち葉のふわふわの絨毯を踏むのは実に気持ちが良い。 
        
         団塊の男ひと群れ散り紅葉  渓石
            
初夏には瑞々しい若葉青葉を見せた落葉樹も、晩秋から初冬に入る今は真っ赤にあるいは真っ黄色に色を変えてやがて散りゆく。
        
散り果てて堆積した落ち葉は、朽ちて栄養分豊かな腐葉土となって木々を育てる。自然の草木は毎年この過程をリピートするが、ホモサピエンスは一生かけてこの営みを行う。 団塊の男の背中に哀愁が漂う。 

豊後大野市朝地町普光寺は6月の紫陽花が有名で紫陽花寺とも呼ばれるが、今は日本最大の不動明王の磨崖仏が紅葉に頬を染めている。寺の山門の屋根には己生えの楓が紅葉し、いかにも古刹の風情である。
        
        紅葉かつ散る大いなる磨崖仏  渓石
         
山門の入り口に‘ピアノ寺’の幟が下がっていて、確かに本堂には1台のアップライトピアノが鎮座。そのいわれらしき書き物は何もなかったが、拝観者の想像にゆだねるというのが床しいところだとしておこう。
         
イチョウは代表的な黄葉である。
        
中国原産のイチョウは漢名を公孫樹、鴨脚とも書くが、日本には鎌倉・室町時代に各地の寺社の境内に植えられたので、樹齢の古い大木が多い。
雌雄異株で実の銀杏は雌株にしか生らない。我が家は二人とも銀杏好きで、二人の胃袋には今年もう100個は収まったろう。黄葉は落葉前に緑色のクロロフィルが分解されて緑が消えるため、もともとあるカロチロイドの色が現出して黄色くなる現象である。
金色のちひさき鳥のかたちして銀杏散るなり夕日の岡に  与謝野晶子  これは誰の目にも耳にも一度はとまった歌だ。
         
緒方惟義によって築城された岡城は、戦国時代には志賀氏、中川氏の居城となり難攻不落の山城として勇名を轟かせた。大火や何度かの自然災害のあと修復されたが、明治4年の廃城令によって石垣だけが残って今日に至り、昭和11(1936)年に岡城址として国の指定史跡となった。その後選ばれた日本名城百選、日本桜の名所百選の一つであるこの岡城址は、城壁と紅葉がよく似合う。ここもカメラスポットである。仙台の青葉城会津若松鶴ケ城をイメージした土井晩翠作詞の「荒城の月」に、竹田岡城址に佇んで滝廉太郎が曲をつけたのは弱冠21歳の時であった。岡城址には久住連山を背景にした廉太郎像が、紅葉に囲まれている。
       
気温が8度未満に下がると葉柄基部に離層ができて養分が葉に蓄積され、貯まった糖やアミノ酸からアントシアンやフラボンなどの色素が作られ、液胞中に蓄積されて紅色となるのが紅葉の仕組みだそうだ。イチョウもカエデも葉柄基部に離層が形成され、細胞の接着力がなくなって葉が脱落する。紅葉の中で最も代表的なものがカエデで、中でもイロハカエデの紅葉が美しい。1枚の葉が7つに分かれているのをイロハニホヘトと数えることからイロハカエデとよばれる。モミジ(紅葉)といえばカエデをさすことが多い。紅葉はカエデの他にハゼ、ウルシ、サクラ、ケヤキ、カキなどが微妙に違う色合いを見せて秋の錦を彩り、万葉の昔より春の桜と同様、歌や句に詠まれている。ちはやぶる神代も聞かず竜田川唐紅に水くくるとは(在原業平は、古今集の代表的な歌のひとつだが、この歌からとった「千早ふる」という演目の古典落語があって、これは面白い。俳句歳時記を見るともみじに「もみづる」という動詞があるが、「紅葉すること」という意味である。例句に「紅葉づるや女の裸身舟のごと」があがっているが、何ともなまめかしい。また、「紅葉かつ散る」を季語としてあげ、紅葉する木もあれば散る木もある、または紅葉しながら一方では散る紅葉もあるということで、「一枚の紅葉且つ散る静かさよ」(高浜虚子)を例句に引いている。
       
城址から遠望する久住、三俣。大船、黒岳のくじゅう連山。今や岡城址は、昔を偲ぶ詩情あふるる錦秋である。