Himagine雑記

思いついたときに気ままに書く雑記帳

 言葉について考える

五七五の言葉ををひねくり回して遊んでいるせいもあるのか、最近、気になる言葉づかいが多い。
        
○「だったりー」ことば・・・最後の「りー」が強調される場合が多い。
「私は甘いものに目がないのです。チョコレートだったりー、和菓子だったりー、スイーツならなんでも。」
これはandだから、「チョコレートや」、「和菓子など」といえばよさそうなものを。
○ウエイトレスの常套句。
「以上でよかったですか」
たった今注文しているのだから、過去形でなく「よろしいでしょうか」でよさそうなものを。
「親子どんぶりになります
鶏肉と卵のどんぶりが親子どんぶりになりますのは知っています。「親子どんぶりです」でよさそうなものを。たぶん、接客マニュアルにこう書いているんだろうな。
○「とか」ことば
「私、新聞とかあまり読まないの」
新聞の跡に雑誌など他のものがあれば「新聞とか雑誌とか」でわかるが、一つのものをいうときには「新聞読まないの」と言えばよさそうなものを。
○語尾のばし
「だから」のように、やたらと語尾をのばす言い方が若い女性に多いと思っていたら、もう若くない人々にも蔓延しているようだ。以下は故・江国滋さんの『日本語八ツ当たり』(新潮文庫p119)の引用である。

それで、だから、彼に、だってというぐあいに、若い者たち、とくにギャルといわれる小娘たちが、 口をひらけば語尾を不必要かつ不自然にひっぱる、あの気色の悪い語法について、多くの大人たちが不快の念を表明したり、たしなめたり、批判したりしていたのはもうずいぶん昔のことで、いまではだれもなんにもいわない。根負けした、というよりも、語尾だけ発育不全のまま本体のギャルが成長して、あの語法が一般的になってしまったためだと思われる。 
 テレビの街頭インタビューなんか聞いていると、若い主婦はもとより、子づれのおばさんまでが、それで、あれがを連発している。
 家庭で母親が、幼稚園で若い保母さんが、毎日、で、いっていれば、子供たちがでいうのは当然の話で、この語尾はすでに二世代を制覇したのである。

この文庫本の奥付を見ると平成5年1月発行となっているが、著者が書いたのは平成元年以前のようである。つまりこの「語尾のばし語法」は、もう24年以上も前に定着してしまっているのだ。
一つ心配なことがある。別府には海外からの留学生が多く、彼らは日本語が達者なのだが、留学生たちはこの語尾のばし言葉も立派にマスターしてしまっている。昨夜我が家に公民館玄関の鍵を返しに来たAPUの女学生さんも、「来週も、公民館使わせてください」と、立派な語尾のばし言葉を使っていた。
 テレビにはやたらと料理番組でおいしいものを食べるシーンがが多いが、若い人のおいしい味の表現は「やわらかーい」「あまーい」「ジューシー」の三つしか聞かない。確かに味覚には、言葉では表現しにくいえもいわれぬものが多いが、それにしても他に言いようはないのだろうか。
 若者の言動が気になり始めたら、老化現象の始まりだ、という説がある。