Himagine雑記

思いついたときに気ままに書く雑記帳

 イチローと子規

    
 9月15日の各紙朝刊に、イチロー9年連続200安打 大リーグ史上初の大見出しが躍った。今までの記録、ウィリー・キーラーの8年連続200安打を塗り替えたのだから、まさに大リーグの歴史に残る偉業である。記者会見の開口一番、「解放されましたね。」とは、やはり相当のプレッシャーがあったのだろう。9月6日に今期195安打を放ち、大リーグ通算2千安打をマークしたあとの200安打までのカウントダウンを「達成していく過程が面白かった」とも。シーズン始めの胃潰瘍や、記録達成に近づいた頃の足の故障などで数試合は出場できなかったにもかかわらず、この偉業達成はやはりイチローが並はずれた器であることを物語る。この次の目標は、ピート・ローズの持つ200安打最多回数10回を抜くことだろうが、その実現はもうすぐそこに見えている。しかも連続で。
 ところで日本に野球を誰がいつ頃持ち込んだのだろうか。調べればいろいろな資料で明らかであろうが、俳句・短歌・文章の革新に心血を注いで、35歳の若さでなくなった正岡子規の『松蘿玉液(しょうらぎょくえき)』という随筆に野球についての面白い記述がある。

○ベースボール に至りてはこれを行ふ者極めて少なくこれを知る人の区域も甚だ狭かりしが近時第一高等学校と在横浜米人との間に仕合(マッチ)ありしより以来ベースボールという語は端なく世人の耳に入りたり。(中略)この技の我邦に伝はりしは詳かにこれを知らねどもあるいはいふ元新橋鉄道局技師(平岡 莿といふ人か)米国より帰りてこれを新橋鉄道局の職員間に伝へたるを始とすとかや。(明治14,5年の頃にもやあらん)それよりして元東京大学(予備門)へ伝はりしと聞けど如何や。(後略)

○ベースボールに要するもの は凡そ千坪ばかりの平坦なる地面(芝生ならばなほ善し)皮にて包みたる小球(ボール 直径二寸ばかりにして中は護謨(ゴム)、糸の類にて充実したるもの)投者(ピッチャー)が投げたる球を打つべき木の棒(バット 長さ四尺ばかりにして先の方やや太く手に持つ処やや細きもの)一尺四寸ばかりの荒布にて座布団の如く拵へたる基(ベース)三個本基(ホームベース)及投者(ピッチャー)の位置に置くべき鉄板様の物一個づつ、攫者(キャッチャー)の後方に張りて球を遮るべき網(高さ一間半、幅二、三間位)競技者十八人(九人づつ敵味方に分るるもの)審判者(アムパイア)一人、幹事一人(勝負を記すもの)等なり。

○ベースボールの競技場 図によりて説明すべし。
  

以下の引用は省略するが、○ベースボールの勝負○ベースボールの球○ベースボールの防者○ベースボールの攻者○ベースボールの特色 について詳述している。これは当時の新聞『日本』に明治29年(1896年)4月21日から12月31日までに連載した随筆の中の、7月19日、7月21日、7月27日に野球大好き人間の子規が野球について紹介した文章である。連続200安打記録をイチローに抜かれたウィリー・キーラーが記録を達成したのは1894年〜1901年の8年間だったが、これは明治27年から明治34年にあたる。つまり、子規が日本に野球を紹介した記事を新聞に書いた年は、キーラーが200安打達成連続3年目であったということになる。遠いアメリカのキーラーの200安打の情報は、多分、子規の耳には達していなかったであろう。
子規が日本語に訳した野球用語は投者(ピッチャー)、攫者(キャッチャー)などたくさんあるが、打者、走者、飛球、直球、四球などは今でもそのまま生きている。随筆の7月27日の文末に

、「ベースボールはいまだかつて訳語あらず、今ここに掲げたる訳語はわれの創意に係る。訳語妥当ならざるは自らこれを知るといへども匆卒(注 そうそつ=いそがしい)の際改竄するに由なし。君子幸に正を賜へ。」

と書いている。ベースボールを「野球」と訳したのは1890年の中馬庚(ちゅうまんかなえ=1970年、特別表彰で野球殿堂入り)である。この野球という訳語ができた4年前、子規は「野球」という雅号をつけているが、これは彼の幼名「升(のぼる)」から「野(の)・球(ぼーる)」としゃれたわけだ。「庭球」が庭で遊ぶ球なら、野原で遊ぶから「野球」というのも肯ける。名付け親の中馬庚も面白い雅号の子規に敬意を込めて、「野球」と今日に残る名訳、なかなかのセンスだ。エラい!
子規はまだ元気な頃、捕手として野球に熱中したそうだ。また、子規は日本の草創期の野球を明治時代の新聞で広く紹介しとことから「20世紀の日本野球界の基礎作りに顕著な貢献をした」として、2002年「新世紀特別表彰」を受けて野球殿堂入りした。子規は今頃、泉下でイチローの大記録に喝采していることだろう。
まり投げてみたき広場や春の草 正岡子規
九人の人九つの場をしめてベースボールの始まらんとす 正岡子規