Himagine雑記

思いついたときに気ままに書く雑記帳

 ザビエルの道

10月17日は秋晴れの行楽日和。第五回記念大会の今日の豊声会の参加メンバーは、一昨年の第3回の時と図らずも同じ4人組。その証拠は、当日の受付で貰った冊子の表紙である。前から5人目から後ろの4人は紛れもなき我々4人であるぞよ。
        
このザビエルの道コースが「おおいた遺産」に選ばれているとは案内冊子で初めて知った。参加したBコース(10キロ)は山坂を下り里山を通り、峠からは別府湾や高崎山を見はるかし、史跡や文化財、美しい海岸線を眼下に見下ろす暘谷城址等々結構見所、味わい所(城下鰈の味にはありつけなかったが)満載のウォークである。
        
朝7時40分に出発地点の日出町中央公民館前に着いたが、ちょっと早すぎたようだ。経塚山まで運んでくれるバスを待つ間の長いこと、Mさんはカッポの葉にとまっている毒々しい色の虫をつついて遊んでいた。バスに乗れたのは10時20分だった。
        
山坂の多いA,Bコースの参加者には、竹の杖が用意されていた。「杖か−。まあ、いらんじゃろ」という風情のMさん。 
        
経塚山からはほとんど下りの山道である。木々の緑の下をフィトンチットを胸一杯吸い込むと気持ちがいいのに、Yさんは何故か大きなマスクをかけている。落ち葉を踏みしめる柔らかい感触が気持ちがいいが、下りばかりが続くと膝が笑う。途中、西鹿鳴越から別府湾を一望の下に見下ろすことができるスポットがあった。
        
「コンパクトデジカメじゃ、遠景は無理かなー」とMさん、Hさん。
        
躓いて水引草をつかみたる 古希漢
前回はあちこちで山芋が黄葉していたが、今年はまだ色づいていないしムカゴもあまり見かけない。平成3年の台風19号で倒れた杉の木が、重なって朽ちている。ひたすら歩く中年以上老人未満の男3人の後ろ姿、男の背中は人生を語るとか…。
        
        
        
日出城(暘谷城)は日出藩主木下延俊の居城である。延俊の父の妹が豊臣秀吉の妻ねね(おね)だったため木下姓を許されたが、関ヶ原の合戦では東軍徳川方に加わらなかったので微妙な立場だったのを、細川忠興の取りなしで日出に3万石を与えられたという。
石垣は海に反りたる秋桜 古希漢
海岸から見上げる暘谷城址は、その昔、三橋三智也が歌った『古城』を彷彿とさせる趣がある。
城址直下の海中には真水が湧き、そこで育った鰈は美味で、城下鰈の名でつとに広く知られているが、海岸には鰈の供養塔が建っていた。
        
           秋高し海に鰈の供養塔 古希漢
   
約2時間半後、出発地点にゴール。完歩証より、豚汁のサービスがうれしくありがたかった。
それにしても、ザビエルは大友宗麟に招かれて山口から府内に行くのに、なぜ険しい山道を選んだのだろうか。日出から府内に海路をとるなら、どうして最初から山口から府内を船で目指さなかったのか。豊予海峡の荒瀬をゆく危険を避けたのだろうか。本当に今日我々が歩いた山道を通ったのだろうか。
今日のウォーキングの終わりは、別府八湯の一つ、柴石温泉で締めた。