Himagine雑記

思いついたときに気ままに書く雑記帳

 田川市石炭・歴史博物館と嘉穂劇場

 別府史談会の市外史跡探訪、今年は筑豊地方である。11月11日(日)、小雨決行。43名の参加者が日清観光バスで別府宇佐道路、椎田道路経由で田川市へ。2時間半の道中は後藤会長や矢島理事によるガイドで退屈することはなかった。
石炭・歴史博物館
バスを降りるとすぐ、三つの建造物が目に入る。
    
     
    
上から炭坑節発祥の地の碑、第一・第二煙突(高さ45、45メートル)、旧三井田川鉱業所伊田竪坑櫓。煙突と櫓は国指定の登録文化財である。煙突は、♪あんまーり煙突が高いので〜さぞやお月さんけむたかろ♪のモデルと言われる。
博物館入館の前に説明してくれたボランティアガイドさんは実にユニークな方である。炭坑節にまつわる話はもとより、正調炭坑節をこぶしをきかせて歌い、踊って見せてくれた。テレビでもたびたび登場して筑豊炭坑を紹介しているそうだが、そういえば、過日、テレビで紙の鍋でホルモンを焼いている場面を見せていたが、あの人がこのガイドさんだった。 
     
 博物館の第一展示室は石炭の採掘法や炭鉱で働く人々や生活の様子を「伊田抗の模型」、「手掘り道具」、「坑道ののジオラマ」、石炭を運んだ「川ひらた(川舟)の模型」、「ミニSL」などの展示で、石炭産業の歴史が一目でわかるようになっている。展示室は一切撮影禁止なので、しかと肉眼で網膜に焼き付けておくしかない。第2展示室には,ユネスコ世界記憶遺産「山本作兵衛コレクション」 の絵が展示されている。2011(平成23)年5月25日に国内初のユネスコ世界記憶遺産として登録されたコレクション697点のうち、炭坑記録画、日記等627点を当博物館を収蔵している。
 
   (入館の際にもらったパンフレットより転載)  
筑豊の炭鉱労働者としての自らの体験をもとにヤマの仕事と生活を描いた精細な墨画と水彩画は、画家が描いた作品とは違って、石炭掘削の音や汗の匂いや呼吸がそのまま伝わってくる。余白に書かれた説明は、どの解説よりも、描写された生活の有り様を活き活きと伝えている。こころ震える思いで見学した。
作兵衛は7歳の時から父について炭坑に入り、炭坑労働者として経験したことまた人に聞いたことを後世に残そうと、60歳から墨や水彩で絵を描き残した数は1000点にのぼる。1967年に画文集『炭鉱(ヤマ)に生きる』を出し、“ヤマの絵師”と言われた。1984年、92歳で筑豊炭坑の生き証人としての一生を終えた。(Wikipediaを参考) 
日本の近代化をエネルギー源の石炭生産地として支え、そして石油へのエネルギー革命によって衰退し1970年代に消滅した筑豊炭鉱の歴史はそのまま日本の近現代史でもある。その意味でも、田川市の石炭・歴史博物館の存在意義や、山本作兵衛の炭坑画がユネスコ世界記憶遺産に登録されたことの意義は大きい。昔、食い詰めた者は「炭坑に行けば食える」という話を聞いたことがあるが、食うためにはいかに過酷な労働が炭坑夫に課せられたかを垣間見ることができた見学であった。
 昼食は相撲茶屋「貴乃花
    
 嘉穂劇場
バスが着いたのは飯塚市の住宅街の町なかである。劇場は住宅街に忽然とその姿を見せた。  
     
嘉穂劇場のパンフレットに、「江戸情緒歌舞伎様式芝居小屋」と、俳句か川柳のように五・七・五で読めるのが面白い。中に入るや驚いた。“間口十間、柱がない空間” 約18メートルの巨大な梁によるトラス形式という小屋組みでできている建物の枡席に、1200人の観客を収容できるという。舞台の広さも大分市の「いいちこグランシアター」に勝るとも劣らない。
     
劇場見学の目玉は大回り舞台であり、それを廻す奈落の仕掛けである。十数人の男たちが腰を入れて回すそうだが、奈落に降りてみると、舞台の下にはコンクリの土台の上に頑丈な木の柱が回り舞台を支えている。長い年月の間に、改築や補修を加えている部分もあった。
     
 パンフにある劇場の沿革を見ると、七転八起、波乱万丈の歴史を持つ劇場ではある。大正11年株式会社中座開場、昭和3年全焼、昭和4年新築落成、5年台風により倒壊、中座解散。6年嘉穂劇場落成、11年筑豊二市四郡劇場組合結成33劇場が加盟、47年楽屋改築、48年冷暖房設備設置、49年奈落排水ポンプ設置、54年自動火災報知器設置、平成3年大道具入口新設、8年楽屋冷暖房設置、14年飯塚市登録文化財登録、15年九州北部豪雨被災、16年NPO法人設置・復旧工事着手、竣工・平成のこけら落とし、17年サントリー地域文化賞受賞、18年国登録文化財登録、19年経産省近代化産業遺産認定。炭鉱の栄えた時代に建てられ、炭坑夫や庶民の娯楽の殿堂として愛された嘉穂劇場。数度にわたる火事や天災にも負けずに再興を果たしてきたのは、筑豊の人々の心意気のなせる技といえよう。最も多いときは50軒もあった芝居小屋も、炭鉱の栄枯盛衰とともに歴史を刻み、今に残っているのは「江戸情緒歌舞伎様式芝居小屋」のこの嘉穂劇場だけのようである。毎年9月にはここで全国座長大会が開催されるという。一度見に行きたいものだ。