Himagine雑記

思いついたときに気ままに書く雑記帳

雨のち晴れ 第5回吉四六さんウォーキング

以下の要領で実施されたウォークに、豊声会有志6人で今年も参加した。

朝6時30分、ベランダから望む別府湾はきれいな朝焼けだったので天気は大丈夫だと思っていたら、7時半に車に乗るやいなや一天にわかにかき曇り雨となった。スタート・ゴール地の野津中央公民館までの道中は、間欠とフルワイパーを交互に回さねばならない有様。「参加メンバーの中の雨男は誰だ!?」と思いながら雨合羽と傘の出で立ちで受付を済ます。

開会挨拶の実行委員長は雨合羽の吉四六スタイルである。出発前の傘を差したままの準備運動は甚だ難儀であった。

上の募集要項チラシの出発時刻が9時46分になっているとおり、大会スタッフが掲げた時計がちょうどその時刻になって、一斉にスタート。なにゆえこんな半端な時刻なのか?これは 946キッチョムと語呂を合わせているわけだ。さすがは頓知の吉四六さんのイベントだ。
スタートから3キロを過ぎたあたりから雨も上がった。大将軍(だいじょうごん)神社や普現寺の紅葉は雨に洗われてきらきら輝いていたが、時期が早いのか今ひとつであった。

分かれ道にあるわかりやすい道しるべは、我々ドンジリーズにとってはありがたかった。

約3キロ地点の持丸公民館や7キロ地点の都松小学校の休憩ポイントでは、婦人会の方々がおいしいふかし芋や冷たい清水、飴、手作りのお菓子などをもてなしてくれた。謝謝!!
今回初めてコースに組み入れられた殿様街道はわずか300メートルの距離であるが、尾根伝いに臼杵方面へと至る街道の名残だそうだ。その一部が、現在も生活道路として活用されている。

今回は、傘を差したり綴じたり、また、多少ぬかるんだ農道を歩まねばならなかったが、刈り跡の稲株から伸びた青々と伸びた穭(ひつじ)の田んぼや、山道の傍らのヤマイモの黄葉など、晩秋から初冬の風情を十分味わうことができた。
穭田のあをあをと雨あがりけり 十遍捨逸句
このウォーキングの毎回の楽しみは、ゴール後の豚汁のお接待と吉四六である。
吉四六話は回を追うごとに上手になり、今回はブラジル話が加わって、話のおもしろさはもとより巧みな方言の語り口が一段と冴え渡った。この吉四六さんはもはや無形文化財級である。


ゴール後に貰った完歩証の番号が抽選番号となって、お土産が当たる仕掛けになっている。メンバーのSさんはみごと地元産の焼酎をゲット。籤運の悪い自分にも、完歩証番号下1桁が2で、最後の商品にんにくドレッシングが当たった。吉四六話の名優と、厚かましくツーショット。

参加賞にいただいた買い物袋には、可愛い吉四六とおへまのイラストが描かれている。
毎回、この吉四六さんウォークに参加するたびに思い出すことがある。
昔、中津文化会館の小ホールで上演した素人芝居、吉四六話の「徳利ン酒」に吉四六として出演したことである。この話は、吉四六が威張り腐った浪人に酒と偽って小便を呑ませる話であるが、相手の浪人は中津の作家、故・松下竜一さんである。水俣病を告発して、全国を股に一人芝居を演じていた故・砂田明さんが中津で「海よ母よ子どもらよ」を上演したときの、「草の根の会」が行った素人前座芝居であった。その頃学校や各地で公演していた吉四六劇団造形劇場の故・野呂祐吉さんに、吉四六と浪人、おへまの衣装を借りて演じたものである。吉四六話の主役は常に吉四六である。ところが、この素人芝居では主役は完全に浪人であった。なぜか、寡黙で人の前に出たがらないあの松下センセが、なんと舞台で役者をやっている、しかも、下戸のあの人が徳利ん酒を飲む飲みっぷりいい、演技賞ものだ、落ちぶれた侍の姿がぴったりだなどと、日頃松下センセを知っている観客からやんやの喝采である。吉四六を演じた者としては、主役を奪われた気分で、いささか面白くない現象であった。今、記録を遡ると1981(昭和56)年3月13日のことである。今から30年も前のことになる。関係者はみんな鬼籍にはいられた。このウォーキングに参加するたびに、懐かしく思い出される。
吉四六を演じしことや村時雨 十遍捨逸句
また参加したくなるような行き届いたお世話をいただいた野津支所の皆さん、スタッフの皆さん、関係者のかたがたに感謝。