Himagine雑記

思いついたときに気ままに書く雑記帳

 文殊仙寺

12年に一度、卯の年しか一般公開(御開帳)しないという文殊菩薩を拝みに、25日、一人で出かけた。次回の12年後の我が足腰に自信がないので、この機会は逃せなかった。文殊仙寺はどんな寺院なのか。登り口の看板には次のように書いてある。

当山は648年、役の小角(役の行者)が開基、ご本尊は文殊菩薩で、“三人よれば文殊の知恵”日本三文殊の一つである。
「役の小角は豊後国国東峨眉山文殊山)に登り、此地を開き住す。乃ち中国五台山を感得、文殊菩薩の尊像を奉安する。故に文殊仙寺と曰う。山上水無し、小角自ら独鈷を執り岩角を打てば霊泉湧出。故に文殊智水と名づく(豊鐘善鳴録、豊後国s志)後略」

 峨眉山文殊仙寺への道は、「見上ぐれば石段高し夕紅葉」そのままの、石段の数と傾斜に気息奄奄たり。

登りきったところに殊仙寺の本堂奥の院があるが、入り口の左には、この寺の開基と伝えられる役の小角(えんのおづぬ)の石像があり、その左にはにこやかな表情の十六羅漢の座像が並ぶ。

文殊菩薩像はこの奥の院裏側に位置するところにおわす。そこは狭くて暗い岩陰の一隅なのだが、50センチぐらいの像のご本尊は薄黒く古ぼけていて、刻まれた時の長さを感じさせる。残念ながら撮影禁止である。このシチュエイションがまたいかにも、秘仏を演出している。「右手に持つ剣は、知恵を象徴し…」と5分ほどの説明を受けた後、おもむろに拝み文殊智水という知恵の水を有難くいただいた。願いごとを書いた札を納めたが、うずたかく積まれた木札はそのうち名物の護摩焚きで燃やされるのだろうか。観光客は500円の拝観料で知恵を授かった顔をして、奥の院から下っていく。

当時は傾斜面にあって境内と自然林との境が分からないが、奥の院から少し下ったところに宝物殿がある。中には地獄極楽の大きな掛け軸や仏像などが展示されている。

宝物殿の入口で初めて見たものは、摩尼車(まにぐるま)である。摩尼とは竜王の脳中から出て望みを全てかなえる宝珠だそうだが、左側の黒い耀きのある石はくるくると回る。その石の表面には般若心経が刻まれている。この石を回せば数珠を繰って般若心経を唱えたのと同じ御利益があるという仕掛けのようだ。

いや、くるくる回しただけでは御利益は薄いのかもしれない。真ん前の「おさいせんばこ」に幾ばくかのお賽銭を入れないことには。
鐘楼門の下に大きな宝筐印塔が建っている。隣にいた観光客が、日本一の大きさだと言っていたが、さて…。その横には巨大な欅の古木が天を突いていた。案内板には「千年欅 樹齢約1100年」とある。

今回の秘仏御開帳は11月27日までで、行った25日の夕方5時からは竹の千灯明に灯を入れるのだが、それが見たいとは思いつつ5時までは待てずに下山した。この日は文殊仙寺よりかなり下の道路筋に車を止めて、シャトルバスで往復した。千灯明や護摩焚き見物の観光客で、最終日の日曜日はさらに混雑するだろう。
先日の吉四六山ウォーキングで、山門の前を通った野津の普現禅寺山号眉山だったが、ここ文殊仙寺の山号峨眉山である。両寺に何か縁があるのだろうか。普現禅寺の方のご本尊は何だろうか。
 野津も国東も、今年の紅(黄)葉は今ひとつ鮮やかさに欠ける気がする。とはいえ、季節の移り変わりを草木は逃さずとらえてはいる。
蔦もみぢ秘仏は小暗がりに在す  逸句