Himagine雑記

思いついたときに気ままに書く雑記帳

第23回べっぷ鶴見岳一気登山

海抜0メートルから1,375メートルの鶴見山頂までを走るか歩くかして目指すもので、別府市観光協会の大会実行委員会が主催する。コンセプトは「波打ち際から山頂まで、自動車道を一切歩かない、横断しない全国唯一の登山道」である。今年で3回目の参加であるが、豊声会のメンバー6人で鶴見岳レストハウスまでの全長8キロメートルのハーフコースを歩いた。
 4月11日、9時スタートの全長12キロメートルフルコースいだてんタイムレースのイキのいい選手たちを羨望の眼で見送ったあと、我々6人はハーフコースの、いつものようにしんがりあたりでスタートした。スタート前に記念写真を撮るという、余裕のスローペースである。
     
     
別府市境川と春木川が作った扇状地の地形だが、その最扇端部である海抜0メートルの的ヶ浜の波打ち際に足を浸したあと、境川河畔を遡る。
     
満開の桜と鯉のぼりを仰ぎ見て気分爽快。
     
扇央部を通りぬけて鶴見山へ向かって遡上し、扇頂部にあたる堀田地域へ至る。南立石公園で休憩後、杉の井ホテルから続く道沿いを上に歩き、左に曲がり「大友義統(おおともよしむね)本陣跡」に出る。慶長5年(1600年)9月13日、天下分け目の関ヶ原の戦の二日前の石垣原合戦で、黒田・細川連合軍と戦って敗れた大友軍の総大将が大友義統である。ここから西へ登ってすぐのところに天満天神宮がある。拝殿の天井には「石垣原合戦の図」の33枚の天井画が描かれている。この神社の右手奥に「べっぷ鶴見岳一気登山道 海抜230メートル」の表示がある。この社の水を飲んでさらに登ると、大分自動車道を下に見る跨線橋に出る。渡ったところからは眼下北側に石垣原(鶴見原)が開け、北東には黒田方の陣所があった実相寺山や加来殿山が見える。ここは大友の重臣宗像掃部(むなかたかもん)の陣所跡である。なんとまあ、別府市教育委員会が昭和47年に建てたという標注は文字も判読しづらく、根本から折れて倒れていた。別府市の文化行政への姿勢の寒々しさを思わされた。この上の集落をぬけると、いよいよ山登りとなるのだ。途中、踊り子草や著莪の花に目がとまる。鶯の声も聞こえる。

山の坂道にはいると、鯉のぼりの軽やかな泳ぎが見えた河川敷を通っていたときのおしゃべりはなくなり、だんだんと前後の人のあえぎ声が聞こえてくる。走り根を足がかりに、1列になって急坂を登る頃になると、今回が初参加の前を行くHさんの足取りがやや怪しくなった。平坦になったところに出ると、両脇にとりどりの桜の花やボランティアが植えてくれたカエデの萌葱色の若芽が、疲れをしばしのあいだ癒してくれる。
     
一人ずつしか通れない最後の胸突き八丁を越えると、平坦なゴール地点に到達。そろそろ散りかけた桜が迎えてくれた。完歩認定証と記念品をもらって、先ずは特設売店の缶ビールを求めに心がはやる。
     
     
落花舞う下で味わうビールとおにぎり、疲れたオジサンたちの至福のひとときである。(単純なオジサンたちだ)
     
帰りはバスでスタート地の的ヶ浜公園まで。最後テルマスの温泉で汗を流して解散。来年は同好の士をもっと増やしたいものだ。次回は、4月29日の耶馬渓新緑ウォーキングのココロだー。
     
飛び石に二手に分かれ花筏
歩くとは単純愚直著莪の花