Himagine雑記

思いついたときに気ままに書く雑記帳

 亀川夏まつり

まだ西日の残る亀川港周辺で7日、今年も亀川夏まつりが行われた。
    
今年は第25回の記念大会とあって、17時からは地元園児生徒によるバトントワリング・チアダンスのオープニング、北部中学校吹奏楽部によるブラスバンドの華やかな演奏のあと、餅まきもあり、祭りに集う大勢の老若男女たちを喜ばせた。国会が終わって里帰りした二人の国会議員も櫓の上から餅をまいた。

伝統の地踊り大会
18時半からはいよいよ夏祭りメインの地踊り大会である。関の江新町地踊り会もこの日のために5回の練習を、先達の猛特訓を受けて行ってきた。この町の踊り子たちは22名(男子7名、女子15名)である。現地に到着後すぐに弁当で腹ごしらえをして、18時半からの出番に備えた。開始前にみんなそろって西日を受けてパチリ。

ハワイアン風の衣装の関の江チームは全17チーム中11番目、踊り前半のプラカーダーSさんは、前を踊る児玉病院チームとの間をはかってリードする。

踊り子の手足の動きもだんだんそろってきた。


亀川夏祭りで踊られる盆踊りは二つ拍子、三つ拍子、六調子、サエモン、であるが、六調子の踊りが一番難しそうだ。どの踊りも、17の踊りチームが少しずつ違うようにも見えた。三つ拍子のテンポのよいヤッチキの歌詞(口説き)は石垣原合戦の物語である。

ハァーヤッチキドッコイドッコイナー
(一)さても大友吉統様は 故郷豊後の速見を指して
ハァーヤッチキドッコイドッコイナー(以下囃子詞略)
(二)帰り給うや立石城に しばし足をも名もとどめける
(三)かくと聞くより豊前の国の 中津城主は黒田の如水
(四)悪に長ぜし大友屋形 退治せんとて乗り入れ給う
(五)豊後横灘鶴見のうちに 山を小楯に陣取り給う
(六)都合其勢八千余騎の 八千三五二手に分かれ
(七)裏と表に立ち分かれ行く 頃は慶長五年の九月
(八)菊の花時十三日の 朝の卯の刻一番揃い … 以下、略 (『別府市史』第7編第4章p57より)

明るいうちにいい絵をたくさん撮ろうと思ったが、なんとデジカメの電池切れ。予備電池を用意していたのに玄関に置き忘れてしまった。
約40分の踊りのあと10分の休憩。後半のプラカーダー役を受け持ち、前を行く踊り子の手足の動きやステップをまねしようとしたが、難しいものだ。我が関の江チームは残念ながら地踊り優秀賞賞金3万円を逃したが、約1時間半、暮れなずむ漁港縁の真夏の潮風を受けながら、いい汗をかいた。
その後に始まった花火が揚がり始めた頃に、一足早く帰らねばならぬ3人を乗せて帰路についた。今日は物凄い人出であったが、年々亀川夏まつりも盛大になっていくようである。

づかづかと来て踊子にさゝやける  高野素十