Himagine雑記

思いついたときに気ままに書く雑記帳

遠藤実さん逝く

   

 戦後日本の歌謡界の泰斗といわれる、作曲家の遠藤実が先日76才で亡くなった。
 極貧生活を送った疎開先の新潟では、電気もない生活だったそうだ。17才で上京してギターの流しをしながら独学で作曲を勉強し、昭和32年、藤島桓夫の「お月さん今晩わ」のヒット以来島倉千代子の「からたち日記」、舟木一夫の「高校3年生」などの大ヒット曲を世に出していった。「お月さん今晩わ」は高校1年の頃、同じ頃はやったフランク永井の「有楽町で逢いましょう」「夜霧の第二国道」等と一緒に、下校時の耶馬渓線最後尾の小さな客車で、悪友とのど自慢したものだ。若い頃、歌謡曲、流行歌といったものは、歌手は真似して歌うからよく知ってるが、その曲を誰が作ったかなど、つまり、作詞や作曲者等全く知ろうとしなかった。亡くなった後メディアの追悼番組や紙面で、あの曲もそうか、これもかとよく聞き口ずさんだ曲の多くが遠藤実の作曲だったことに驚く。五月みどり「おひまなら来てよね」、北原謙二「若いふたり」、千昌夫「星影のワルツ」、山本リンダ「こまっちゃうナ」、森昌子「せんせい」、渡哲也「くちなしの花」、千昌夫北国の春」、渥美二郎「夢追い酒」、牧村三枝子「みちづれ」…「北国の春」は中国でも愛唱歌としてよく歌われていて、中国旅行の際、ガイドさんが歌ってくれたがうまいものだった。この歌は、千昌夫が30年前の昭和52年に歌っている。
 遠藤実さんの座右の銘が「春の来ない冬はない」という。テレビの特集番組では「人の世に涙の川がある。苦労の山がある。その川を渡るとき、その山を越えるとき、歌という友がある。」という遠藤実さんの言葉を紹介していたが、彼の音楽人生が凝縮された言葉と思う。 
 麻生総理は、故人に国民栄誉賞を授与するという。国民栄誉賞は、福田赳夫内閣時代の1977年に創設されたというが、過去15人の受賞者のうち、王貞治山下泰裕衣笠祥雄、千代の冨士、藤山一郎高橋尚子以外は没後受賞で、16人目の遠藤実さんも没後受賞となってしまった。歌謡曲畑では、過去に古賀政男服部良一吉田正が受賞、古関裕而は没後受賞を遺族が辞退、野球の福本豊、イチロウは受賞を辞退、イチロウは「まだ現役だから」と2回も辞退している。
 遠藤実作曲の歌や、戦後にはやった歌を聴いていると、昭和がだんだん遠くなっていく気がする。
 みかん食ぶ「北国の春」聞きながら