Himagine雑記

思いついたときに気ままに書く雑記帳

大晦日と元日

最近ものぐさになって、新年を迎える準備や大掃除などほとんどしない。せいぜい大晦日に散歩コースで見かけるウラジロを採って来るぐらいのものだ。飾り餅の下に敷く定番のあれである。以前は松竹梅の小枝を近くの山から調達していたが、それも面倒になって、森林環境の保全のためという都合のよい理由を付けて止めてしまった。
晦日の夜といえば、NHKが早い時期からうるさく番宣している「紅白歌合戦」であるが、最近はとんと見なくなった。歌も歌い手も全く知らないし、大人数でスピーディに踊るスタイルに全くついていけない。たまに知っている歌手は、デビュー当時の歌しか歌わず鼻白むばかりである。番組や歌い手のせいではなく、こちらが時代遅れになっているからにすぎないのだろう。したがってこの時間帯のテレビは‘紅白歌舞音曲狂騒合戦’の裏番組のEテレの「第九交響曲」を視聴することになる。以前、10数年間歌ってきた「大分第九の会」をやめて久しいが、毎年12月になると第九を歌いたい気分になるので、テレビの演奏に合わせて、まだ覚えているドイツ語の暗譜で第九の“歓喜の歌”を歌うことになる。
明けて1月1日は、NHKテレビがウィーン・フィルの「ニューイヤー・コンサート」をウィーン楽友会ホールから生中継してくれる。この楽友会ホールは1870年に完成した絢爛豪華な‘黄金の大ホール’と呼ばれる音響効果抜群の世界有数のコンサートホールである。
 
このコンサートは75年以上の歴史を誇り、テレビとラジオを通じて世界90カ国以上に生中継され、4億人が視聴するという。プログラムはシュトラウスファミリーの作曲したワルツやポルカなど、明るく楽しい新年らしい楽曲20曲あまりから構成されているが、今年は出演5回目の巨匠リッカルド・ムーティが颯爽とした指揮を見せた。
 
テレビは曲の内容に沿ってドナウの流れなどのウィーンの風景や、ワルツのダンスの映像も見せてくれて楽しい。
 
元日恒例のニューイヤー・コンサートの中継テレビを視聴する理由はもう一つある。かの楽友会ホールは、1999年2月13日に第2回日豊「第九を歌う会」連合会がウィーン公演で立ったステージであるからだ。指揮・山田啓明、管弦楽・ウィーントーンキュンストラ管弦楽団、合唱・大分第九を歌う会/日豊第九を歌う会連合会のテノールの一員として歌った経験は生涯忘れ得ぬ経験である。
このステージのソリストは、ソプラノが別府市出身のERIKA MAKINO GRUGLER(Uはウムラウト付き)、アルトが臼杵市出身の廣田律子(昨年12月逝去・享年52歳、合掌)であった。
 
上の写真の、左から2番目の柱の前で歌ったのを思い出すが、下を見ると130年前に作られたステージの床の厚く黒光りのする、靴跡で傷ついた板張りを思い出す。ステージから前を見るとシューボックス型の客席は満席で、歌い終えた後のスタンディングべーションの感激も思い出す。
今年のコンサートはヨハンシュトラウス2世の喜歌劇「ジプシー男爵」で始まり、おなじみの曲16曲の後、アンコールはいつものポルカ「雷鳴と電光」、ワルツ「美しき青きドナウ」、最後に客席の手拍子入りの「ラデツキー行進曲」で締めくくった。毎年このコンサートを視聴するのは、あのときステージからはゆっくり十分に見られなかった楽友会ホールの絢爛たる彫刻や天井画、シャンデリアなどを、テレビ映像でくまなく見ることができるからでもある。
晦日と元日を、かくのごとく、いずれも「第九歓喜の歌」がらみのテレビの視聴づくめで、モノグサシルバーは費やしたのであった。
(写真はいずれも今年のNHKテレビの映像による)