Himagine雑記

思いついたときに気ままに書く雑記帳

 豆腐屋の四季(4)

『相聞ー洋子抄ー』
           
ひたすらに泉湧くごと君恋えば我が命燃え歌生(あ)れやまず
1966年年11月3日、竜一さん(29才)は洋子さん(18才)の高校卒業を待って結婚した。公民館で挙げた小さな結婚式の出席者に引き出物として配ったのが、この29ページの小さな歌集である。
マツヨイグサ幾つ摘みては飾りやる汝が髪あわく月に光りつ
秋いまだ17と云う君許せばその黒髪にほのぼのと触る
 竜一さんは、洋子さんがまだ中学生の頃から密かに愛おしんでいた。彼の豆腐づくりと配達の生活は狭い行動半径である。いつも配達する、川向こうの小島の店の娘が洋子さんであった。
稚なければその頬にも未だ触れず帰る我が唇に雪ながれ消ゆ
(五島美代子・評)若き日の純粋な愛の瞬間をとらえて光るよう。
我が愛を告げんにはまだ稚なきか君は鈴鳴る小鋏つかう
(近藤芳美・評)ひそかな、古風なまでの思慕の歌。「鈴鳴る小鋏つかう」という表現が、少年の恋のように清潔である。
 初めてこの歌に出会ったとき、わたしは目頭が熱くなったのを覚えている。
 つましくもはなやぎのある静かな新婚生活の中に、〈騒動〉が起こる。それは、洋子さんが「相聞」のことを朝日新聞「ひととき」欄に投稿したことから始まった。「…(この本は)全部で6千円かかりました。40部頼んだのに印刷所の手違いで70部もできました。式の日、参列の方々に配り、その後も知人などに贈って、なお11部残っています。夫も私もあまり交友がないので、年を越しても11部は机の上におかれたままで寂しそうです。「相聞」の歌は大半、朝日歌壇の入選歌で編まれています。もしどなたか読んでくださるなら差し上げます。…」この投稿が新聞に載った朝、もらいに来た第1号は近所の米屋の奥さん、その日の内に電報、電話、来宅でたちまち11冊はなくなり、洋子さんのへそくりで40冊ぐらい増刷する計画に。ところが次の日、200通の申し込みの手紙が来た。これがひっそりと暮らしていた3人の生活の、サプライズの始まりであった。その後、小さな豆腐屋一家はマスコミに追われ、青年豆腐屋歌人が歌を詠む閑もなくなってしまうほどであった。
 それにしても「相聞」の全34首はいま読み返してみても、珠玉の〈古風なまでの思慕の歌〉である。「相聞」の名の通り、とろけるような、甘美な愛の歌ばかりである。だからこそ、こんにちのザラザラと殺伐とした世にあって、これらの歌は新鮮に胸に響いてくるのである。