Himagine雑記

思いついたときに気ままに書く雑記帳

 豆腐屋の四季(3)

          

 一昨日(9日)の「豆腐屋の四季」で、自費出版豆腐屋の四季』の書き出しの部分を紹介したが、この本の末尾は「昭和37年12月15日から昭和43年11月10日現在迄約5年10ヶ月の朝日歌壇に、延べ209首入選、内。1位42首、2位34首です。」で終わっている。
 あらためて、この驚異的な入選数に圧倒される。(恥ずかしながら、私はこの1年間に朝日歌壇に9首ほど投稿したが、入選は3回のみだ。)
 竜一さんは母の病死の後、父の豆腐屋を手伝いながら25才から短歌を作り始め、「泥のごときできそこないし豆腐投げ怒れる夜のまだ明けざらん」が朝日歌壇に初めて入選した。以後、朝日歌壇いちずに投稿し、3人の選者の高い評価を受けることになる。初めの頃は、老いた父と一緒に造る豆腐がなかなか旨くできずに、いらだつ気持ちを、そのまま歌った作品が多い。
 父切りし豆腐はいびつにゆがみいて父の籠もれる怒りを知りし
 
(五島美代子・評)風に吹きさらされてあらわれた真実のような諸作である。そぞろ寒いまでに心にふれてくる。いびつにゆがんだ豆腐の切り口に言葉に出さない父の怒りを感じとる1位の作者、何ともすべなく見守る老いの横顔である。
 老い父と手順同じき我が造る豆腐の肌理(きめ)のなぜにか粗(あら)き
 豆腐罐磨き並べて光り受くるあたりに父とひげを剃りいき
 生きて来し苦労に荒るる掌(て)を持てど老父の造る豆腐美し
 病むも食べ歯の無き老いも食ぶる豆腐いとしみ造れと老父は教えき
 豆腐いたく出来そこないておろおろと迎うる夜明けを雪降りしきる
 (宮 柊二・評)第一作、出来そこなった豆腐、新しく作るにはもう時間がない。「おろおろ」しつつ迎えた夜明け。それまでが4句。5句の「雪降りしきる」は、この4句までの内容と何の因果関係もない内容なのだが、しかしこの5句ゆえに1首が生動している。つまり生活の中にあらわれるものは因果のみをもって現れるものではない。ただ実際を云っているために、詩の上で清新な飛躍になっているのである。4句が「夜明けを」で、「夜明けに」でないのもよい。
 老い父はかくも寂しきか炬燵にて皿廻しをば試みはじめき
 (近藤芳美・評)こたつにひとりこもって、サラまわしの真似などを始めている父。その年老いた父の姿に1首目の作者は息をのむような人間の孤独というものを見詰めているのであろう。松下竜一氏は決して巧みな作者ではないが、その作品には常に市井のの庶民の泣き笑いに似た心の詩が歌い出されていることを感じる。
          
        
 松下父子は無口で、二人の間には殆ど会話もなかったそうだ。新聞掲載の短歌も読んでいるのに、何も語らない。互いに思いは深いのに、言葉には出そうとしない父と子。しかし、やはり親父の豆腐には勝てないと密かに父に感服する息子。そして、できそこないの豆腐ばかり造る息子を黙って見守る老いた父。互いに心は通い合っているのに、二人とも不器用なだけなのだ、と私は思った。竜一さんも父親譲りの寡黙な人だった。初対面の人が、会話がとぎれて戸惑ってしまう、と異口同音に云ったものだ。無愛想とも言えるが、すぐに相手に合わせたり、ましてや人におもねったりしないだけの人だとも言えよう。