「述志」の原本見つかる
12月3日の朝日新聞に「述志」の原本が見つかったという記事が出ていた。
太平洋戦争時、連合艦隊司令長官であった山本五十六の遺書と云われているのが「述志」である。これは、現代史研究者のあいだでは、その原本が貴重な史料としてその発見が待たれていたが、大分県先哲資料館が『大分県先哲叢書』の10番目の人物として杵築市出身の海軍軍人堀悌吉をとりあげ、その資料収集の過程で、東京世田谷の堀悌吉の遺族の家で発見されたものである。
さっそく、先哲資料館の展示を見に行った。原文は便箋1枚にわずか13行でしたためた短い毛筆の書で、比較的読みやすかったので手帳に書き写した。
此度ハ大詔を奉して堂々の出陣
なれは生死共に超然たること
は難からさるへし
たゝ此戦ハ未曾有の大戦にして
いろいろ曲折もあるへく名を
惜み己を潔くせむの私心ありては
とても此大任は成し遂け得ま
しとよくよく覚悟せり
されは
大君の御楯とたたに
思ふ身は
名をも命も惜しま
さらなむ
昭和十六年十二月八日
山本五十六 (華押)
(注)新聞の「述志」の写真は昭和十四年五月三十一日と読めるが、展示のものは昭和十六年十二月八日、つまり対米開戦の日付であり、旗艦長門で書いたものと見られる。三国同盟や戦争に反対していた自分が指揮官として真っ先に戦争に突入せざるを得なかった山本五十六の心情は、辞世の歌となった最後の「名をも命も惜しまさらなむ」に凝縮している。古来、日本男児は武人として「名をこそ惜しめ」と教育されてきた。戦争反対ならなぜ最後まで戦争抑止に努力せず、自ら戦争指揮をしたのかという後世の批判も甘んじて受けようという覚悟が「名誉も命も惜しまない」に込められている。
書き取った手紙文の原文は毛筆、縦書きであり、便箋の縦の長さに合わせて上記のように改行されている。