Himagine雑記

思いついたときに気ままに書く雑記帳

 聯合艦隊司令長官 山本五十六

年末から引いた風邪がやっとよくなった。気分転換に、稙田のTOHO CINEMASに映画を見に行った。山本五十六長官が昭和18(1943)年4月18日、ソロモン諸島ブーゲンビル上空で米軍機に撃墜されてから昨年は70年目である。サブタイトルに「70年目の真実」とあった。山本五十六については、戦後、多くの伝記や小説が書かれ、また映画も作られている。映画は、古くは大河内傳次郎が演じた「太平洋の鷲(1953年)」があるが、中学生ごろのことで見ていない。「連合艦隊司令長官 山本五十六昭和4(1968)年」は、軍神らしい五十六を三船敏郎が演じた。昭和45(1970)年には山村聡が渋い演技を見せた「トラ・トラ・トラ」は日米合作の映画だった。アメリカ映画の「ミッドウェイ」は、記録フィルムを多用した壮烈な戦闘シーンが目に焼き付いている。そのほか「連合艦隊」(主演・小林圭樹)、「零戦燃ゆ」(主演・丹波哲郎)など、五十六映画は沢山作られた。今回の山本五十六役所広司が主役を演じた。三国同盟に最後まで反対し、アメリカの豊富な資源、軍事力をつぶさに見てきた経験から対米戦争は絶対避けるべしと主張するも、陸海軍好戦派や軍令部の強硬論におされて聯合艦隊長官としてやむなく真珠湾攻撃の指揮官の任務に就く山本五十六の苦悩を役所広司は好演した。今までの五十六映画と違う点は、『帝国日本戦史』を作る若い新聞記者の語りをベースに物語を展開していくというスタイルを取っていることと、新聞を中心とするメディアが、三国同盟推進と対米英開戦を促す世論作りをする過程を強調していることであろうか。役所広司は、家庭の中にある父親としての顔を見せる五十六を旨く演じていた。劇中、堀悌吉が何度か登場するが、彼は大分県杵築市の生まれであり、五十六とは海軍兵学校時代からの“心友”で、五十六と同じく海軍の中では少数派の非戦論者であった。(堀悌吉については本ブログ2008/12/14 心友山本五十六と堀悌吉 で既述)
映画の他に、五十六についての伝記や文学も多いが、阿川弘之著『山本五十六 上・下』(新潮文庫)はずいぶん昔に読んだ。半藤一利の『山本五十六』(平凡社)は、自らを“山本贔屓”というように、山本五十六に親近感を持って史実に添って書いた小説である。今回の映画も半藤一利監修とあるように、映画の筋立てもこの本の章立てと似通っている。今まで見たどの映画も、書物も、山本長官の最期は、乗っていた705航空隊の一式陸上攻撃機が、アメリカのP−35ライトニングという攻撃機から爆撃を受けて機上で戦死、ということになっている。ところが、旧朧、『山本五十六自決セリ』(大野芳 著、学研M文庫)と出会った。著者は、4月18日に撃墜された長官機の捜索にあたった当時の兵士の生き残りの人々を探し当てて採った証言と、61点にのぼる参考資料をもとに本書を書いているが、巻末の参考資料の冒頭の『山本五十六の最期』(蜷川親正 著、光人社)を参考にすること大であったと述べている。山本五十六の最期がどうであったのかは、大野氏が参考にしたという蜷川氏の著書を先に読まねばと思いネットで購入して読み始めたところである。著者の蜷川親正氏は、山本長官の遺体を最初に検死した蜷川親博陸軍軍医大尉の弟で、医学博士である。戦地で病死した兄が残した軍医メモから、捜索や遺体搬出に関わった当時の生き残り兵士を片っ端から調べて可能な限り面接をして証言を採って書いた本がこれである。この2冊の文庫本からだけでも、「機銃攻撃を受け機上戦死」という大本営発表の常識が覆り、山本五十六の最期の真相が見えてきそうである。