Himagine雑記

思いついたときに気ままに書く雑記帳

 開花宣言

関の江新町児童公園には4本の桜の木があり、毎年この時季にはきれいな花を楽しませてくれる。もちろんソメイヨシノである。

含み笑い

    笑い初め
今日3月29日の午前中、公園に桜のようすを見に行くとほとんどがまだ“含み笑い”の状態だったが、いくつか“笑い初め”状態のものがあった。よって、本日をもって関の江新町児童公園の桜の開花を宣言する(大声で叫ぶほどのことでもないが)。

ソメイヨシノは江戸時代末期に江戸の染井村の植木職人が固有種を交配して生み出したサクラを広めたものだというのは知っていたが、なぜヨシノが付くんだろうかと調べてみると、西行の歌でも有名な桜の名所、大和の吉野の桜から取った命名だそうな。サクラが春の花を代表するようになったのは平安時代からで、古今集にも多く和歌に詠まれている。ただ、江戸中期までに詠まれた和歌や俳句のサクラは固有種のヤマザクラエドヒガン、オオシマザクラであるから、そのころまでの文学に出てくるサクラは絢爛豪華なソメイヨシノをイメージしてはいけない。
サクラは今でこそ平和のしるしみたいな花だが、太平洋戦争中は軍国主義の象徴のようでもあった。軍歌「同期の桜」の「咲いた花なら散るのは覚悟 見事散りましょ国のため」と国のための散華を尊しとする風潮はつい70年前まであった。「桜花」という名前の小型特攻機に乗った多くの若者たちが散華していった歴史を思い出させるソメイヨシノでもある。ソメイヨシノの散り際の美学と特効精神を結びつけたのであろう。花見が庶民の行楽の一つになったのは落語でも知られるとおり、江戸時代からであり今日まで続いている。

上の写真のサクラは我が家から5分ほどの山手に咲いているもので、ヤマザクラの1種ではなかろうか。ヤマザクラソメイヨシノと違って葉が花より先に出る。西行が「願はくは花の下にて春死なんその如月の望月の頃」と詠んだサクラは多分ヤマザクラだったのではないだろうか。旧暦の「如月の望月の頃」は2月15日で、新暦では3月下旬から4月初旬で ほぼ今頃である。西行が亡くなったのは建久元年(1190)2月16日であり、自ら詠んだ歌の通り、花の下で入寂した訳だ。なんだかデキスギである。子どもの頃、「あの娘はヤマザクラのようだ」と言ってからかった。「葉(歯)が花(鼻)より先に出る」、つまり「出っ歯」と。「ヤマザクラのように美しい」のではなく、ひどい侮辱である。
別府市の北浜あたりからお猿の高崎山を見ると、もうすぐ高崎山が花笠のように見える。種々のサクラがまるで花をつけた笠のように見える。下から上まで標高差があるので、しばらくの間楽しめる。

 桜子といふ名もらひし孫娘開花宣言の朝に生まれて
3月30日生まれの孫娘も4月にはもう、中学2年生になる。