Himagine雑記

思いついたときに気ままに書く雑記帳

 平均寿命

9月19日は正岡子規の命日である。子規が「糸瓜咲て痰のつまりし仏かな」「痰一斗糸瓜の水も間にあはず」「をととひのへちまの水も取らざりき」の絶筆3句を書いて息を引き取ったのは、1902年(明治35年)9月19日午前1時頃だった。糸瓜3句に因んで子規忌を「糸瓜忌」とも、また彼の書斎の獺祭書屋(だっさいしょおく)に因み「獺祭忌」、ともいう。満35歳の誕生日を1カ月後に控えての死であった。
 昔の文学青年はみな若死にである。しかも、結核によるものが多い。石川啄木(26歳)、中原中也(30歳)、新美南吉(29歳)、八木重吉(29歳)と後世に名作を残してみな、早世している。
 子規が亡くなった当時の日本人の平均寿命は、男女とも40歳代前半だった。人口の3人に1人は15歳未満で、65才以上となると全体の5パーセントに過ぎなかった。当時の100才以上は800人あまり、それから1世紀以上が過ぎた今年の100才以上の人口は全国で54,397人(男6,791人、女47,606人)である。男女の比率は女87,5パーセントに対して、男は12,5パーセントで100才以上長寿者は圧倒的に女性が多い。大分県の今年の100才以上は647人(男81人、女566人)で、全国と全く同じ男女比で男12,5パーセント、、女87,5パーセントとなっている。ご当地別府市100才以上は62人である。敬老の日に、県下の最高齢者の杵築市、豊田光恵さんが知事からお祝いを受けていた。
 平均寿命を見てみると去年1012年の統計では、全国平均男79,94歳、女86,41歳である。戦後の1947年では男50,06歳、女53,96歳だったので、戦後、飛躍的に平均寿命が延びていることがわかる。
平均寿命と平均余命
平均寿命」とは「各年における0歳児の平均余命」のことで、たとえば2012年の女性の平均寿命は86,41歳なので、[2012年に生まれた女の赤ちゃんは、社会情勢などの大きな変化がない限り、平均的に86,41歳まで生きられる」ことを意味する。「2012年時点で亡くなった女性の平均年齢が86,41歳」ではない。また、「2012年時点で86歳の女性は、ふつうならばこの1年間に亡くなってしまうだろう」という意味でもない。[平均寿命」が一般には誤って解釈されて使われていることが多いような気がする。


 住んでいる関の江新町も、少子高齢化の波が押し寄せていることを実感する。毎年、自治会公民館行事として夏の[七夕飾り作り」、冬の「クリスマス会」を開催すべく町内に案内しているが、主役の子どもたちの参加が年々減少している。その日が都合で参加出来ない子もいるが、小学生の実数が確実に減ってきている。また、毎年、町内の70才以上の高齢者に敬老祝賀会の案内状の宛名書きをしながら、年々その数が増えていき、260余世帯のうち100名を越えてきた。自分自身が敬老祝賀会出席の資格を得て3年目になってみると、この時期、複雑な思いが胸をよぎる。現実的には、70歳から74歳までの現行の医療費1割負担を2割負担にもどすとかで、来年74歳に達する者としては甚だ困るのである。
  軽老となりそな施策敬老日 渓石 
健康長寿はめでたく、誰もがピンピンコロリを願うが、高齢者の医療・年金などの社会保障政策もきっちりしてもらいたいものだ。