Himagine雑記

思いついたときに気ままに書く雑記帳

 第7回竜一忌

 6月18日、故・松下竜一(1937-2004)さんの7回忌が中津文化会館小ホールで行われた。松下さんは67年の生涯を反公害・反権力の立場を貫いた大分県中津市のノンフィクション作家である。

松下さんは反公害運動の要として活動し機関誌「草の根通信」を発行し続けたが、病に倒れ7年前に亡くなった。その後、彼の遺志をついだ「草の根の会」が毎年竜一忌を主催し、彼の思想に共鳴する人たちやファンが6月18日の命日に全国から中津へ集まっている。今年も約150名が参列した。
今年の竜一忌のテーマは「記憶の闇」と「狼煙を見よ」である。「記憶の闇」は松下さんが甲山事件を冤罪であるという認識で題材にしたノンフィクションの題名である。
今日は甲山事件で25年間にわたって容疑者とされ続け、1999(平成11)年に控訴審無罪判決が確定した山田悦子さんが「甲山事件の当事者として」と題して講演した。山田さんは「日本の憲法は人権を守ってくれるのかと思ったが、推定無罪という思想がない」と強調した。
先だって「布川事件」の再審無罪が決定したが、日本の警察や検察の旧態依然とした取り調べ方法、司法のあり方そのものの中に冤罪を生む原因があることを今更ながら痛感する。取り調べ過程の録音・録画などの義務づけも冤罪防止の一つの手段かもしれない。
 
もう一つは、「明けやらぬ朝ー大逆事件の百年」と題してノンフィクション作家・田中信尚さんが講演した。両者の話の共通点は、日本の司法制度の問題点ということであった。講演の終わりの部分で、大逆事件連座した26名すべての墓を訪れ、写真に記録した映像を見せてくれたが、墓や古い写真を見ただけでそれが26人のうちの誰のものであるかを的確に説明していたのには驚いた。田中さんは去る15日に、著書「大逆事件ー生と死の群像」で「日本エッセイスト・クラブ賞」を受賞したということである。
(註1)甲山(かぶとやま)事件 
 1974(昭和49)年3月、兵庫県西宮市の知的障害児の施設「甲山学園」で、二人の園児が相次いで園内の浄化槽の中で死体となって発見されるという事件が起こった。二人目のS君殺害の犯人として、状況証拠しかないまま山田悦子が逮捕された。その後、処分保留ー嫌疑不十分で不起訴処分ー検察審査会で不起訴不当ー起訴ー保釈−1審無罪ー高裁破棄差し戻しー差し戻し審無罪ー第二次控訴審無罪となった事件。日本の刑事裁判上、25年という最も長い経過をたどって無罪となった冤罪事件。
(註2)大逆事件
 明治天皇を爆裂弾で殺害しようとした計画が発覚し、この事件をきっかけに社会主義者無政府主義者が弾圧を受けた事件。1910年5月に関係者の逮捕、検挙が始まり、26名が大逆罪として連座、翌1911年1月18日に死刑24名、有期刑2名の判決。1月24日に11名、25日に1名が処刑された。
逮捕から判決、処刑までの早さは異例であった。この26名の中で天皇暗殺計画に関わったり同調した者はわずか5名だったと言われる。
 日本国憲法施行後1960年代から「大逆事件の真実を明らかにする会」を中心に、彼らの復権を求めた再審請求運動が起こり、事件の検証を求める運動は今なお続いている。なお、Googleで甲山事件を検索して最初に出てくる「私説・甲山事件・・・真犯人はいずこ・・・初動捜査に関与した一検事の感慨」はきわめて興味深い内容である。
(註3)旧刑法第116条 天皇三后皇太子ニ対シ危害ヲ加へ又ハ加ヘントシタル者ハ死刑ニ処ス
1947年改正前の刑法第73条 天皇、大皇太后、皇太后、皇后、皇太子、又ハ皇太孫ニ対シ危害ヲ加ヘ又ハ加ヘントシタル者ハ死刑ニ処ス