Himagine雑記

思いついたときに気ままに書く雑記帳

 平成の伊能忠敬さん?

世の中には偉い人の歩いた跡をたどってみたがる人種がいるものだ。松尾芭蕉の「奥の細道」を全行程を踏破したとか、四国八十八か所のすべてをお遍路したとか聞くと「おおーっ」と感嘆の声を上げてしまうのだが、これらに比べると、途中までマイクロバスに連れてって貰ってひたすら山道を下るだけの10キロの「ザビエルの道ウォーキング」などは、屁のようなものだ。(屁、などとこのコースをバカにしているわけでは決してなく、本当にこの道をザビエルさんは歩いたのかなと疑いつつも2回も参加した)
ところが、あの伊能忠敬が測量のために歩いた別府湾岸を、伊能の測量日記にしたがって忠実に伊能の足跡をたどって奈多八幡社から佐賀関までの100キロを歩いた変人がいる。その名は日名子健二さん。
 現在大分県立先哲史料館で伊能忠敬、大分を測る」という、大分測量200周年を記念した企画展が開催されている(〜23日まで)が、これに因んで近世史研究会の例会で「別府湾岸の伊能測量」と題した報告をしたのが日名子健二さんである。
大分市浜町で生まれた日名子さんは高校生まで魚臭いこの町で育った。長じて東京に出たが、「我は海の子」の歌詞のままの白砂青松のふるさとを思い、帰省してみると新産都建設以来故郷の海岸線はだんだん変わっていっていた。40代の半ば、別府湾の破壊されてしまう前の自然海岸を踏破して記録し後生の人に残すことが自分の使命と考えたというのが100キロ歩きの動機だとか。実施に当たっては、伊能忠敬の経路を忠実にたどること、干潮時刻、潮位を事前に調査、地元の人に会えば昔の海岸線の状況を尋ねる等を必ず行い、平成10年7月11日(土)から平成12年6月2日(金)までに全行程を踏破したのである。
その全記録が下の著書(B5版,p317 自費出版)であるが、目下県立図書館から借りて読んでいるところである。
             
当日の報告では、伊能測量日記に記載のある測量事跡として、PC内の54の写真をプロジェクターで紹介された。伊能図と明治38年の陸軍参謀本部陸地測量部の地図を参考に、日記の記載事跡が現在のどこに当たるかを示すなど根気のいる仕事である。伊能忠敬には弟子の手助けや藩命による行く先々の宿や賄いのサービスが行き届いていたが、日名子さんの歩きは単独行である。この計画を聞いた家人から、バカじゃないかといわれたそうだが、日名子さんは変人を自認している。何ともタフでパワフルな平成の伊能忠敬さんである。
日名子さんのホームページを紹介 (伊能フアンなら、これは読まなきゃ損!) 
1, http://www9.plala.or.jp/chietaku/  「 平成の伊能忠敬、豊後を往く」
2, http://www9.plala.or.jp/chietaku/giseki.htm 「伊能測量時の事跡」  
2010/06/03のブログ「Himagineの日記」で“変わりゆく別府の海岸”を書いたが、上記、日名子さんのHP1,を読んで共感するところ大であった。