Himagine雑記

思いついたときに気ままに書く雑記帳

 第61回別府大分毎日マラソン

1796人の男女のランナーが、上下完全6車線化が完成したばかりの別大国道を走り抜けた。例年なら、別府湾から吹き付ける強い寒風にさらされるこのレースだが、昨日2月5日は曇り、無風という絶好の気象条件に恵まれ、うみたまごのスタート前からサブ10ランナーが期待されていた。われわれ豊声会ウォーカーは、東別府駅からの別大国道7キロを歩き終え、「天海の湯」で入浴、昼食後、西大分のかんたんバス停付近でマラソンランナーを応援した。
  
   かんたん付近の先頭集団           頑張れ女性ランナー
実は、今年もわが町の市民ランナーのAさんが走ると聞いていたので、しっかり応援したいと思っていた。たまたま道筋の応援者に配られた毎日新聞号外の選手名鑑を見ることができた。カテゴリー3の名簿の「男子一般 日本陸連未登録者」の中に、ナンバーカード3866のAさんを確認。さてそれからは、豊声会ウォーカー6人が3866番の私設応援団に早変わり、高崎山方面から走ってくる3866番を今や遅しと待ち構えるのであった。なにせ、世界トップ級から市民ランナーまで1796人が走るのである。しかもかんたんバス停付近はすでに中間点を過ぎた23キロあたりなので、長い帯となってランナーが次から次と目の前を駆け抜ける。歩道からコースへ上半身をのけぞらせて、ひたすら西から走ってくるランナーに声援を送る。横隣りの若い青年は、先頭から最後尾が走り抜けるまで「頑張れー」の連呼。先頭集団はこれには目もくれぬが、ずっと後ろの完走だけが目標と思われる走りのランナーの何人かは、声援ににっこり会釈する。さて、3866番である。携帯ラジオで先頭グループが30キロ付近を通過と伝える頃、黒のランニングシャツの胸に赤文字の3866番が近づいた。デジカメのシャッターチャンスと「Aさん頑張れ」がちぐはぐなタイムラグになり、あっという間に目の前を走りすぎた。声援に驚いたAさんが一瞬ビックリしたように振り返った。

 中間点過ぎのAさん

 夜、ネットで結果の速報を見た。
1位 アルン・ジョロゲケニア 小森コーポレーション) タイム2時間9分38秒 やはりサブ10だ。 
4位(日本人1位) 松村康平(三菱重工長崎) タイム2時間11分18秒 初マラソンで好成績
32位(大分県1位 池中杯獲得) 藤原洋志(三重中学校教員)
50位(カンボジア国籍取得のタレント) 猫ひろし タイム2時間30分26秒 自己新記録 
女子1位 望月千幸(キャノンAC九州) タイム2時間43分12秒  2連覇
さて、3866番のAさんである。
昨夜のネット速報によれば、中間点タイム1時間6分7秒、40キロ地点のタイム3時間9分2秒、ゴール3時間20分36秒で順位1355位。よく頑張りました、と心の中でパチパチ。
Aさんは自治会青壮年部の防犯夜警や自治会活動に積極的に参加したりしていて、顔なじみの市職員である。よく団地の坂道をトレーニングしている姿も見かける。次回もさらなる記録目指して頑張って欲しい。
併行して開催された別大ウォーク参加者も国道をはさむ両側の歩道を、老若男女溢れんばかりである。マラソンスタート前、われわれは彼ら一団とは別行動で、東別府駅から西大分駅までの国道10号線ウオークである。上下6車線化完成の自動車道とともに、別府大分間は自転車道と並ぶ歩行者道も完備され、別府湾に添う絶好のベイサイドビュウのウォーキングロードとなっている。
今回のわれわれのウオーキングのスタートは東別府駅である。

 濱脇停車場開業記念碑の前で
この駅は、豊州本線濱脇停車場として明治44(1911)年に開業して以来、今年で101年目の木造駅舎である。開業当時ほぼそのままの姿を残し、別府市有形文化財に指定されている。
別大国道は高崎山が海に落ち込む水際に建設された道であるが、江戸時代までは、馬一頭がやっと通れる険阻な山道一本で、別府から府内(大分)までは浜脇から船で行くのが普通であったという。それだけに、今でも国道の西側は高い崖である。
昭和36(1961)年10月、折からの大雨による崖崩れで、佛崎で山崩れが起こり、大分から別府行きの大分交通電車が埋没した。通学の生徒を含む31人が死亡するという大事故であった。

今はもうこの惨事は忘れ去られたように 、日々おびただしい車がその下を往来している。現在は崩落防止の緑色の金網が張られているが、上の方を見上げるといつ崩れ落ちるかわからないような急峻な崖が立ちはだかっている。
予定コースを歩き終えて、かんたんから柞原神社へ向かう道に入りすぐ右折、ガード下を日豊線に添って急坂を登ったところにある「天海の湯」に入湯。薄口醤油のような色の、ヌルヌル系の泉質。別府湾を見下ろす展望が売りの温泉である。遠く慶長元(1596)年の昔、大地震で沈んだという瓜生島(うりゅうじま)は眼下の別府湾のどのあたりにあったのだろうか、などと思いをはせるにはいいビュウポイントではある。

入湯後、坂を下りかんたんバス停付近でマラソン選手一団を応援したのであるが、「いい湯だな」の気分のあとに、必死で走るランナーを応援するという若干の後ろめたさもすぐ忘れて(ランナーの皆さん、ゴメンナサイ)、声援を送り続けた。
我々のウォークのゴールは西大分駅である。東別府駅西大分駅も、特急電車の止まらぬ小さな駅でこんな時でもない限り乗降しないが、古びた小さな木造駅舎がいかにも‘停車場’風で蒸気機関車が走っていた頃の駅を思い出させた。

春疾風のごとマラソン選手過ぐ 古希余