Himagine雑記

思いついたときに気ままに書く雑記帳

 逆境に咲く

昨日、少年にはじめて死刑が求刑された裁判員裁判で、死刑の判決が下った。石巻市で3人を殺傷した18歳の少年に対して下した仙台地裁の判決である。少年の凶悪犯罪に対する、最近の厳罰化傾向の流れに沿った判決である。市民裁判員の苦悩や葛藤が注目されているが、加害少年の背景を法廷での証言などによって知らされると、極刑かどうかという量刑判断以上に、考えさせられることが多い。少年は5歳の時に親が離婚し母親に引き取られたが、母が再婚してからは義父と妹ととの4人暮らしが始まる。やがて夜遅くにしか帰らない母親に捨てられたような淋しさを感じる毎日となる。機嫌が悪いときには母親に殴られることも多かった。その後、義父と別れた母親は新たな交際相手の激しい暴力に耐えかね、アルコールに逃れ、入退院を繰り返すこととなった。祖母に預けられて高校に入学した頃、体力のついた彼は母や祖母に暴力をふるい、とうとう校内の暴力事件で退学となる。
幼少の頃から親の慈しみや家庭の温かさに包まれることのなかった彼が、自尊感情や他人への思いやりの心を育てられなかったことは容易に想像できる。
もう40年も前になろうか、永山連続射殺事件を思い出した。永山則夫は19歳の時に拳銃で4人を殺し、死刑判決を受けた。獄中で支援者からの手紙で己の過ちを反省し、字を覚え猛烈に学問に志し、文学賞を受賞するほどの本も書いた。その中の『無知の涙』を読んで少なからぬ衝撃を受けたものだった。1審の死刑に対し2審は永山の劣悪な家庭環境への同情、更生の可能性を期待して無期判決だったが検察は上告し、差し戻し審の二次高裁判決では「生育環境、家庭環境には同情するが、他のきょうだい7人はまじめに生活している。4人を殺害した罪は極刑に値する」として死刑判決を受け、死刑が執行された。
昨日の判決で、被告は死刑判決を受け入れると言ったというが、弁護側は控訴するのではないだろうか。
霊長類といわれるホモサピエンスは他の動植物に比べ、幼少期・思春期の生育状況や家庭環境にその後の成長を左右されること大である。
        
人間に比べて、植物は逞しい。毎年目にする鶏頭などは、全く土が見られない石垣の隙間に根を張っているから驚きである。生育条件がこれほど逆境な環境はないと思うのだが、鶏頭ってやつの生命力には脱帽である。いや、鶏頭君は意外と石垣の隙間が好きなのかもしれない。人間は逆境に抗って行こうとする努力を惜しみ、あるいはこれから逃げるばかりで、環境の方を生きやすく安易に変えようとする方向にばかり目を向けがちなのかもしれない。と、偉そうに言ったものの、今朝の寒さに耐えかねてついに居間にストーブを出してしまった。