Himagine雑記

思いついたときに気ままに書く雑記帳

 九州に300余もある「別府」の地名

         
今年度も別府西部地区公民館の主催講座「歴史の謎解き教室」が昨日5月7日に開講した。昨年度に続き、講師は別府大学名誉教授の後藤重巳先生である。
別府生まれ、別府育ちではない、昔でいえば豊前国の生まれの自分にとって豊後の国別府については知らないことばかりなので、あちこちの公民館の郷土史講座で勉強している(つもりだが、連れ合いはこれもHimagineの遊びの範疇に入るらしい)。
さて、昨日の講座のテーマはタイトルのとおりである。「別府」という地名が結構あちこちにあって「べっぷ」以外に「べふ」「びゅう」「びょう」などと読まれることは知ってはいたが、九州に300以上もあるとは今日まで知らなかった。
         
先生が引用された森猛氏作成の資料によれば、近世には、現在の大分県に7ヶ所あるが、いずれも「別」となっていて、「別」ではない。辞典では「別符」とは

中世に官物などの「別納」が認められた土地。本来、開発などで旧来のものと別個の支配体制ができたとき、それの別納を認める別納徴符などを意味したが、次第に別納が実施される土地そのものに変化した」(角川日本史事典)

「符」は「しるし」「ふだ」であり、「府」は行政区域の一つの意味だから、本来の「別符」からだんだん「別府」に変わったということなのだろう。
「別府」が初めて見える史料として次の二つがあるという。
★「豊後国太田文(図田帳)」(弘安8年 1285年)に「別府」が、
★「大友家文書録」(慶長5年=関ヶ原の合戦、石垣原の合戦があった年 1600年)に「別府浦」が見える。
もともと本村でない新開発村だったであろう別府が、明治大正昭和と時代がすすんで村や町が合併し大別府となり今日に至っているわけだが、成り立ちからいえば、発生の動機は経済的或いは行政的地名である。

このように郷土の地理歴史の興味深い、奥の深ーいお話は、来月6月4日の「鉄輪」の地名の由来を探るにつながっていく。