Himagine雑記

思いついたときに気ままに書く雑記帳

卯の花とホトトギス

      
ホトトギスの声はまだ聞きませんが、卯の花はもう咲きました。冷川沿いに咲いている野茨のとなりに、その白さでは野茨に負けることなく匂うばかりに咲いています。卯の花は旧暦4月(卯月)に咲くことからその名がありますが、学名はウツギ(空木)の花です。枝を折ると竹のように中がうつろです。ところで、卯の花はなぜかホトトギスとの取り合わせで古くから歌や句によく詠まれています。
卯の花の散らまく惜しみ霍公鳥(ほととぎす)野に出山に入り来鳴き響(とよ)もす」(万葉集
時鳥我とはなしに卯の花の憂き世の中に鳴きわたるらむ」(古今集
卯の花は、品おとりて、何となけれど、咲くころのおかしう、時鳥の陰にかくるらむと思ふに、いとをかし」(枕草子
「山里は卯の花垣のひまをあらみしのび音もらす時鳥かな」(加納諸平)
「うの花のにおう垣根に 時鳥 早もきなきて 忍音もらす 夏は来ぬ」(佐々木信綱)
 上記の最後の「夏は来ぬ」は明治29年5月の〈新編教育唱歌集第五学年用〉で、いま私たち豊声会が秋の演奏会に向けて練習している唱歌メドレー「ふるさとの四季」の中の1曲です。歌いながら気になって仕方がなかったことがあります。はたして時鳥が垣根に来て鳴くだろうか、しかも〈テッペンカケタカ〉と高い山をけたたましく鳴き渡るあの時鳥が、どんな忍び音を漏らすのだろうか、という疑問です。
       
なんのことはない、佐々木信綱さんは加納諸平の「山里は…」の本歌取りをしていたわけです。つまり、卯の花垣根の時鳥は、実体験ではなかったわけですね。古来卯の花と時鳥は季節感から相性がよく、取り合わせで詠まれているに過ぎないというわけでした。このことから「卯の花垣根の忍び音時鳥」への疑問も氷解し、今は安らかな気持ち(?)で練習に専念しています。
 なべて詩人は想像力が豊かで感性が鋭いので、実際に見たり聞いたり体験したりしていなくても、人の句歌や話から句歌を詠んだり文を書いたりできるのです。たとえば、「名も知らぬ遠き島より…」のあの「椰子の実」も、島崎藤村が海岸に流れ着いた椰子の実を実際に見て作った詩ではなく、親友の民俗学者柳田国男伊良湖岬で見た椰子の実の話を聞いて作った詩であることはよく知られています。
さてホトトギスですが、いろんな漢字が当てられています。時鳥が一般的ですがその他に子規・不如帰・杜鵑・蜀魂・杜宇・田長鳥・沓手鳥・妹背鳥・卯月鳥などです。「子規」は正岡子規の子規ですが、ホトトギスは赤い口を開けて鳴く様が、結核患者が血を吐いているように見えるので、正岡は自ら宿痾の結核患者であることを自嘲的に「子規」と号したといわれています。
 ここでホトトギスに注文!ウグイスの巣に勝手に卵を産んでウグイスに雛を育てさせるなんて恥ずかしいことはおやめなさい。我が子に餌を運ぶ苦労や、雛が育っていく楽しみを人並み(他の生き物並み)に味わってください。育児放棄はいけません。いくら〈トッキョキョカキョク〉と鳴いたって、托卵をあなたに特許したわけではないのですから。