Himagine雑記

思いついたときに気ままに書く雑記帳

田山花袋と別府

島崎藤村とともに自然主義文学の双璧といわれた田山花袋は、本名・田山録弥。(録弥でもニックネームとして立派に認知されそうですね。)明治25年(1892)、『落花村』という作品をはじめて「花袋」の名で発表しました。柳亭種彦の「用捨箱」の中から「はなぶくろ」の名を見いだし、前から考えていた花瓶の意味をあてて「花袋」としたということですが、なにやらわかったようなわからないような…。のちに、『蒲団』や『田舎教師』で知られるところとなります。この花袋さん、37歳の時に別府を訪れ、明治41年に別府の見たまま感じたままを次のように綴っています。
      

 大きな峠を越して、ずっと別府湾を見わたしたところは、九州地方でも沢山にないようなすぐれた眺望を持っていた。夏の海は、思い切って青く、西に連なった山々も規模が大きく、海を隔てて四極山(高崎山)の面白い形も一目でそれを見渡せた。(中略)別府湾は、すぐれた海だ。佐賀関の半島のずっと長く海中に伸びている形など、ことに面白いと思う。それに海の色がいかにも青い。くっきりと紺碧の色をたたえた上に、白い帆やペンキの青い赤い汽船を見たさまは、どうしてもマネーの画にでもありそうだ。それに湾の西方を擁した山嶺の嵐気に富んでいるということもこの湾を彩る大きな原因にもなっている、と思った。黒い屋根がわらや白い壁が晴波に映る日出の町、海に接する豊岡、古市をすぎて、亀川温泉に出る。ここの立場で、出会ったすさまじい夕立やここを出て仰いだ山峡にかかる虹は、きわめて印象的な美しいシーンであった。(中略)別府港は…忘れられない光景の一つである。夏の夜は賑やかで、人がそろそろ通る。海が黒く光って見えている。運漕店や汽船問屋の前には、荷物を運んだりする車が行ったり来たりしている。白い女の顔がそこらをぶらぶら歩いていたりする。やがてギイギイと櫓を押す音がする。艀は近寄ってきた。

      

別府の風景と明治の終わり頃の港近くの風俗を、あるがままに描写しています。それまでの古い文体に拠らない筆致のまさに自然主義文学の真骨頂といえます。私たちが余りに日常的に見慣れてしまっている別府の風景を、もう一度見直してみたくなる文章ではありませんか。
(参考:写真は『別府市史 第1巻』、引用文は『別府史談 第10号』より)