Himagine雑記

思いついたときに気ままに書く雑記帳

日米開戦

              

 67年前の今日12月8日、日本軍がハワイの真珠湾を空襲し、日米開戦の火蓋が切られた。
 前年1940年、昭和15年は皇紀2600年にあたり、祝賀の提灯行列で全国民の戦意を高揚したらしい。この年の5月に生まれたが、私の誕生を全国民が祝ってくれたのかと思ったがそうではなく、神武天皇以来2600年も連綿と続く皇統のいやさかを祝う国民的行事の旗・提灯行列だったらしい。日米開戦は1才半の時だったから勿論記憶にないが、国家総動員法大政翼賛会結成等戦争準備を整え、真珠湾空襲によってついに対米英宣戦布告となったのが昭和16年であることは、中学校の歴史教科書が教えるところである。
 
 学校の同級生は、昭和15年生まれと16年早生まれの者たちであるから、生粋の戦中っ子である。だから名前も勢いのいいのが多い。「勝」・「勝利」・「勝彦」・「忠雄」「忠義}が多く、ずばり「戦時」もあった。昭和16年は皇紀2601年だから「二六一(じろいち)」という秀才もいたが、高校生の時、早世してしまった。

 購読している朝日新聞の今日の朝刊のどこにも、日米開戦関係の記事がなかった。ネットで全国5紙の社説・コラムを探したが、毎日新聞がほんのチョコッと触れているのみ。そこで、北海道新聞から沖縄タイムスまでお気に入りに入れてある主だった地方紙12紙の、社説・コラム欄を調べてみたら、北海道新聞の「卓上四季」・西日本新聞の「春秋」・宮崎日日新聞の「くろしお」のコラムに関連記事が載っていた。
 その中の宮日のコラムが一番読み応えがあったので、一部を紹介。

秋丸機関
 日米開戦前に「秋丸機関」と呼ばれた旧陸軍省の研究班が存在した。責任者はえびの市出身の故秋丸次郎氏だった。
目的は米国などの戦争遂行能力を経済面で測定すること。
 約1年半の調査で導き出された結論は「日米の経済力は日本を1とするならば米国は20.戦争が長引くと日本の経済力は下がり、米国は逆に上がる。」秋丸氏は開戦約5ヶ月前に陸軍参謀本部陸軍省幹部に報告した。その席には東条英機陸将(当時)もいた。
 だが開戦必至の考えが支配的だった時代。高級幹部達は「みんな居眠りしていた」(秋丸氏談)という。戦争は調査書の予想した通りの展開になった。日本はB29の空襲で焦土化し、非戦闘員を含めて330万人が犠牲となった。
(中略)秋丸氏は南方戦線を転戦後、終戦を迎えた。亡くなる前年、17年前の今ごろ本人に話を聞いた。「対米戦は結核患者にマラソンをさせるようなもの」。冷静な分析が国策に反映されず、未曾有の血が流れた。「日米開戦の日」から67年目。