Himagine雑記

思いついたときに気ままに書く雑記帳

終戦記念日

 今日は64年目の終戦記念日。今年も日本武道館で政府主催の「全国戦没者追悼式」が開かれ、310万人の戦没者の冥福を祈り、平和への誓いを新たにした。

政府を代表して麻生首相が式辞を述べた。
「…わが国は多くの国々、とりわけ、アジアの諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えた。」と加害責任を認め、深い反省と哀悼の意を表明し、「悲惨な戦争の教訓を風化させることなく、次の世代に継承していかねばならない。」と不戦を誓った。

記憶にない8月15日
 終戦の年、昭和20年は5歳の時である。普通、大人になっても記憶が残るのは5歳ぐらいからであるというのに、8月15日のことは全く覚えていない。とくべつに記憶力が悪かったのだろうか。
今日、テレビ番組「“あの日”昭和20年の記憶 著名人の証言でつづる8月15日」という再放送を見たが。ほとんどの証言者が8月15日を迎えた年齢が13歳以上23歳頃までの方々だったので、その記憶は鮮明に語られたが、当時6歳だった漫画家のちばてつやさんは旧満州の印刷工の社宅にいたが、日本が負けたということがわかった中国人の群衆が家に押し掛けて来たことだけを覚えている、日本人はここにいてはいけないんだな後でわかったと述べていた。8歳だった作家の佐木隆三さんは、玉音放送を聞いた母親が近所の人の誰彼なく、本当に戦争に負けたのかと聞きまくっていたと証言。5歳の時の証言者はいなかった。
 昭和20年の終戦時の記憶は自分にはないが、その後食べ物に不自由し、大根や南瓜の入った麦飯がまずかったこと、乾燥させた藷の葉を混ぜたご飯は割にイケた味だったことなど思い出す。また、基地ごっこといって、畠の横の防空壕に出入りして遊んでいた。
 私が生まれた昭和15(1940)年は日独伊三国同盟が締結、戦時体制に向けて大政翼賛会が結成され南進の国策が決定されている。翌年16年、日米交渉を打ち切り太平洋戦争に突入、17年、先勝ムードの中でさらに戦時体制が強化される。18年、ガダルカナルアッツ島などで連合軍が反攻。勤労動員、学徒出陣、学童疎開。19年、サイパンマリアナ、レイテなどで日本軍の壊滅。神風特攻隊。国民生活窮乏化。20年、東京大空襲、米軍沖縄上陸、広島・長崎原爆投下ポツダム宣言受諾・降伏、終戦
考えてみると、私の誕生から5歳までの記憶に残っていない5年間が、昭和史の上で最も激動の5年間であったといえるようだ。この記憶にない5年間の歴史を今頃になって詳しく知りたいと思って、あれこれと本や資料を読みあさっているところである。NHKの、3日間にわたって放映された「海軍400時間の証言」は海軍軍令部にいた将校たちの貴重な証言である。鎮魂、悔恨、疑問、謝罪等、みんな80歳を越えた戦時体験者達の貴重な録音による肉声である。
終戦日五歳に記憶とどまらず