Himagine雑記

思いついたときに気ままに書く雑記帳

 益軒センセの教育相談

     

最近の学校では、授業にならないとか校内暴力といったことは、ひと頃のようにたびたびメディアに取り上げられるということは減ったように感じるが、実態はどうなのだろうか。子どものことより、給食費を払わない(払えないではなく)親とか、担任を変えてくれとかいう〈モンスター〉親の問題の方が耳に入ってくる。こういう親も、ほんの2,30年前は子どもだったわけで、彼らがこどものころ、どういう教育を家庭や学校で受けていたのかも問題になるだろう。

 貝原益軒センセは宝永7年(1710)、81歳の時に『和俗童子訓』という、我が国初のまとまった教育書を書いている。今から300年前の、益軒センセの子育て論のほんの一部を聴いてみよう。

:我が子の育てかたに悩む親が多いようです。言うがままに甘やかしたり、その対極で虐待したりというケースがありますが、子育ての基本って何でしょうか。

:凡(およそ)小児をそだつるに、初生より愛を過ごすべからず。愛すぐれば、かへりて、児をそこなふ。衣服をあつくし、乳食にあかしむれば、必ず病多し。衣をうすくし、食をすくなくすれば、病すくなし。古語に「凡そ小児を安からしむるには、三分の飢と寒とを帯ぶべし」、といへり。

:十のうち三は飢えとと寒さを与えよとは厳しいですねえ。

:凡、子をおしゆるには、父母、厳にきびしければ、子たる者、おそれつつしみて、おやの教を聞てそむかず。ここを以て、考の道行はる。父母やはらかにして、厳ならず、愛すぐれば、子たる者、父母をおそれずして教え行はれず、いましめを守らず、ここを以て、父母をあなどりて、考の道たたず。婦人、又はおろかなる人は、子をそだつる道をしらで、つねに子を驕らしめ、気随なるをいましめざる故、其おごり、年の長ずるにしたがひて、いよいよます。凡夫は心暗くして、子にまよひ、愛におぼれて其子のあしき事をしらず。古歌に、「人のをやの、心はやみにあらねども、子を思ふ道にまよひぬるかな」、とよめり。

:優しく、厳しくと理屈ではようわかりますが、なかなかその加減が難しい。親は怒ることはたやすいが、叱るというのはなかなか難しい。しかり方のコツなんてものがありますかね。

答:子弟をおしゆるに、いかに愚・不肖にして、わかく、いやしきとも、甚だしくいかり罵りて、顔色とことばを、あららかにし、悪口して、はづかしむべからず。かくの如くすれば、子弟、我が非分なる事をばわすれて、父兄のいましめをいかり、うらみ・そむきて、したがはず。かへって、父子・兄弟の間も不和になり、相やぶれて、恩をそこなふにいたる。只、従容として、厳正にをしえ、いくたびもくりかへし、やうやく、つげ戒むべし。

問:最近はいわゆる核家族化が進んで、子どもが祖父母やよそのお年寄りと日常的にふれあう機会が薄れています。そこで、子どもとお年寄りが接する機会を増やそうという試みもあります。独楽回しや竹とんぼづくりなどを老人会の方々に習ったり、子どもたちが老人ホームなどを訪れて交流をしたりといったことが方々で行われています。いいことだと思いますが、これについて益軒センセ、どうですか。

答:いとけなき時より、年老いておとなしき人、才学ある人、古今世変をしれる人になれちかづきて、其物がたりをききおぼえ、物にかきつけをきて、わするべからず。又うたがはしき事をば、知れる人にたづねとふべし。ふるきことをしれる老人の、ものがたりをきく事をこのみて、きらふべからず。かやうにふるき事を、このみききてきらはず、物ごとに志あるひとは、後にかならず、人にすぐるるものなり。

問:後期高齢者はとかく生きづらくなりつつありますが、子どもたちと接するときはにこにこしていますし、子どもたちも活き活きしています。
 私の雑記帳を見ていたら、こんな言葉がメモしてありました。
 「やってみて言って聞かせてさせてみてほめてやらねば人は動かじ」(山本五十六