Himagine雑記

思いついたときに気ままに書く雑記帳

 『日本のいちばん長い夏』 その2

八月や六日九日十五日
一昨年詠んで某俳句雑誌に投稿しようとした句である。どこかに投句する前には、類似句がないか、できるだけインターネットの俳句データーベス等で調べることにしている。検索してみたところ、この句、先行句があった。荻原枯石という方の作品である。勿論、投稿は取りやめた。さらに今年の5月14日、宇佐航空隊平和ウォークに参加したときのことである。宇佐第1号掩体壕のある平和公園に立ち並ぶ句碑の中に、なんと全く同じ俳句があったのだ。作者は尾道市の諫見勝利という方である。俳句は17音の世界最短の詩である。体験や環境、見た風景などが似ていると、紡ぎ出された言葉を17音に並べてみたとき、できた句が酷似したり、稀に全く同一となることがあってもおかしくはない。全くの同一句や類似句などの先行句があれば、自分の句の発表を差し控えるのは当然である。しかし、八月の戦争にまつわる三つの忘れがたい日をならべただけの全く同じ句を、自分を含めて3人が作っているということは、互いに詩心が共有できたようでうれしくもある。

さて、ポツダム宣言を受諾すべか否かを巡って日本政府が大激論を闘わしている中、炎天にキョウチクトウの花が真っ赤に燃えさかっていた六日、九日に広島、長崎に原爆が投下された。その原爆投下のターゲットがいつ、なぜ日本になったのかについて、『日本のいちばん長い夏』ではどう書かれているのだろうか。
30人の大座談会『日本のいちばん長い夏』が行われた1963(昭和38)年から44年後の2007(平成19)年に、編者の半藤一利は評論家の松本健一と対談し、その内容が「44年後の解説」として本書に収められている。この中の原爆投下の言い訳という小見出しで語っている次のような二人の会話に注目した。

半藤 いずれにせよ、結局ポツダム宣言を「黙殺」したがために、それが原爆を使った理由にもされるし、ソ連の侵攻の理由にもされてしまいました。
松本  それはアメリカの言い訳であると同時にさきの久間章生防衛大臣の発言にまでつながっています。アメリカによる原爆投下は、ソ連の南下を差し止め、北海道占領を阻止するために「しようがなかった」という(注・久間氏は平成19年夏の参院選直前のこ発言で防衛相を辞任)。
半藤 じつは久間さんと同じように認識している日本人は決して少なくないんです。(中略)
松本 アメリカは完成した原爆を日本に対してだけ使用するという決定をし、さらにいつ落とすか、日本のどの都市に落とすかという検討を、実に具体的に、粛々と進めていました。同じ敵国でもドイツに対しては落とさないという判断があった。
半藤 その通りです。原爆製造、いわゆるマンハッタン計画の総指揮官グローブス少尉の、スチムソン陸軍長官宛あての4月24日付の手紙、「目標は一貫して日本でありました」という文章があります。ドイツが目標になったことはないのです。ここに明らかに人種差別があった。
松本 しかも、ポツダム宣言が黙殺されたから落としたと言っているけれど、実際にはその前に決定している。
半藤 ええ。ワシントン時間で7月24日夜、「第20空軍
第509爆撃隊は、1945年8月3日ごろ以降、天候が目視爆撃を許す限り、なるべく速やかに、最初の特殊爆弾をつぎの目標の一つに投下せよ。(目標)広島、小倉、新潟および長崎」という命令書がポツダムに打電されています。そして、翌25日朝まだき、ポツダムより「陸軍長官はグローブス命令書を承認す」という至急報がワシントンのペンタゴンに届きます。すなわちこの日25日に、原爆投下命令は、トルーマン、スチムソン、マーシャル参謀総長、アーノルド陸軍航空群総司令官らの承認を得て発動されたのです。25日午後にはテニアン島にあった原爆投下部隊に命令は送られています。
 ちなみにポツダム宣言はワシントン時間の翌26日午後6時に、サンフランシスコ放送局より日本へ送られている。ワシントン時間26日午後6時は、東京時間で27日午前8時でした。
松本 8月9日の爆撃は、予定では小倉に落とすはずだったのだけれども、上空に雲がかかっていて目視ができなかったので、グルグル回った上で長崎に落とした。(中略)
原爆投下はあくまでもアメリカの戦略上の方針にのっとって行われた。アメリカとすれば原爆の使用が、非戦闘員を攻撃してはいけないという国際法違反になるなんてことは百も承知の上で。
半藤 当然知っていましたよ。
松本 それを正当化するためには、ポツダム宣言が「黙殺」されたから、という理由付けは非常に都合がよかった。
半藤 うまい理由付けなんですけどねえ。事実ではない。

1945(昭和20)年8月14日から、昭和天皇終戦詔勅を発する明くる15日正午までの、日本史上息詰まる歴史転換の一日を描いた半藤一利の著書『日本のいちばん長い日』は映画にもなって多くの観客を集めた。もうすぐやってくる八月の六日、九日、十五日は、戦没者への鎮魂・慰霊の日であるとともに、正しい歴史認識を国民に求める日でもあろう。わずか10字17音の八月や六日九日十五日の句は結局何処にも発表しなかったが、さまざまな思いを込めた、自分にとっては生涯忘れることのない作品である。