Himagine雑記

思いついたときに気ままに書く雑記帳

第16代徳川宗家当主 徳川家達(いえさと)

        
 大河ドラマ篤姫」が終わった。
 薩摩の「お篤」が13代将軍「家定」に3番目の正室として嫁ぎ、「天璋院」となってからは徳川家を最後まで守り48才の生涯を終えた.その篤姫は、家定亡き後は若い将軍の教育係としての働きが大きかったようだ。13才の若さで14代将軍職を継いだ家茂の将軍としてのこころがまえを説き、将軍の正室として迎えた皇女和宮には武家の生活作法と御台所としての振る舞いを教えるという役回りを持った。家茂早世の後は一橋家の慶喜が15代将軍職を継ぎ、江戸城無血開城の後は将軍職を退かされ、大政奉還の後に隠居してしまう。篤姫をはじめ、勝海舟和宮らの働きで徳川家は何とか守られ、徳川御三卿の一つ田安徳川家7代の亀千代は、明治元年に6才で徳川宗家を相続、徳川第16代徳川家達(いえさと)となる。この家達も徳川家当主としてその歴史と誇りを身につけるべく、篤姫がその世話や教育の役目を担ったことはドラマでも描かれていた。家達は英語も学び、明治10年から5年間、英国留学を果たすなど近代的教養を身につけた。
 この家達は明治新政府によって駿府へ移されたが、版籍奉還廃藩置県によって駿河藩主を解かれ、東京へ移住、時代の大波に翻弄される。その後は明治新時代の表舞台にも出ることになる。明治17年(1884)には華族令により公爵となり貴族院議員、のち貴族院議長を30年も努める。また、総理大臣として組閣の大命も打診されたが、一族の会議のすえ、これを固辞。ワシントン軍縮会議全権大使、第6代日本赤十字社社長等も歴任、昭和15年(1040)77才で死去。第16代徳川宗家家達も、先代慶喜に劣らず急激に変化する日本の歴史の荒波の中で、江戸・明治・大正・昭和の4時代を生き抜いたのである。
 徳川将軍15代までの265年間は、いつも巷に偉そうに人切り包丁を腰に差した侍が跋扈してはいたが、国内では戦争のない平和な時代だった。その後の明治から昭和20年までは戦争の時代が続き、終戦後今日まで63年間は国内では平和が続いている。江戸時代と今日の平和は、勿論その持続条件はずいぶんと違っている。今日のほうが、平和を持続する環境や条件が難しい。
 家達の一族の田安徳川家第11代当主の徳川宗英氏が書いた『徳川家に伝わる 徳川400年の内緒話』がめっぽう面白い。この文春文庫はAmazon.co.jpのマーケットプレイス通販で¥1(送料¥340)で購入したものである。