Himagine雑記

思いついたときに気ままに書く雑記帳

「大正の広重」吉田初三郎

  
 3月1日づけブログで紹介しました『別府の古い道 歴史散歩』の表紙は、大正13年の吉田初三郎作の「別府鳥瞰図」とカバーの裏に書いてあります。この表紙絵と同じような絵を別府市美術館で見たような気がするだけで、恥ずかしながら、作者の吉田初三郎については何も知りません。昨日、新聞の切り抜きを見返していたら、一ヶ月前の2月28日付けローカル版の「絵師・初三郎の世界展、中津で」を発見。期間は3月31日までとなっていました。何はさておき今日、あわてて展覧会場の中津の自性寺大雅堂まで馳せ参じました。大正から昭和の初期にかけて描いた作品は目を見張るばかりの鮮やかな極彩色の絵ばかりで、きわだっているのは各地の、特に阿蘇由布院飯田高原耶馬渓・別府など観光地の鳥瞰図法による観光案内図絵の数々です。すべて駅名や地名が克明に記され、観光客に喜ばれそうなパンフレットとなっています。初三郎は京都市出身の画家ですが、別府観光の祖と言われた油屋熊八と親しくし、ともに由布院飯田高原などの景勝地を訪れて鳥瞰図を描き観光の浮揚に尽くしました。初三郎が別府の宣伝に努めた油屋熊八やの梅田凡平が自性寺を訪れたときの拝観名簿が展示されていました。この大雅堂に展示されている120点の作品は彼の生涯の仕事のほんの一部だそうですが、多くの図絵やポスターで九州の名勝を全国、世界に宣伝した功績は大きかったと思います。中には、長い間フジヤマ・サクラ・ゲイシャという日本の観光イメージのもとを作ったといわれるポスターもありました。
      

 今回の展示会場となった自性寺は中津奥平藩歴代の菩提寺で、6代藩主昌成公のときに自性寺と称すようになりました。12世提洲(だいしゅう)和尚が住職として赴任の途中、京より池大雅夫妻を伴ってきます。池大雅雪舟光琳と伴に日本三大画家と呼ばれる日本的南画の完成者です。夫妻はしばらく滞在し参禅の余暇悠々として九州の風光に接しながら縦横に筆を揮います。これらの書画は書院の襖に貼付、後に、10代藩主昌高公が「大雅堂」と染筆、扁額を掲げてよりこの書院を「大雅堂」と称すようになりました。その後書院はは老朽化しましたが昭和61年に別棟として新築落成され今日に至っています。池大雅のこれだけの作品を常設展示しているのは、日本でここだけだということです。中津市の貴重な文化遺産です。明日までなので今日は多いなと思っていたのに、大雅堂の玄関は人影もなく、休館かなと思って呼び鈴を押したら受付の窓が開き「どちらから」と聞かれ、「別府から」というと、「遠くからの方の方が多いのですよ。地元のお客は少なくて」と少し淋しそうな笑みを見せる若いお坊さんでした。約1時間の観覧中自分一人で、玄関を出るとき一組の夫婦が来館しただけでした。昨日は耳、今日は目のいい保養をしました。