Himagine雑記

思いついたときに気ままに書く雑記帳

羊腸の小径を歩く

「競秀峰に登ったよ。そうきつくはなかった。登ってみたら。」と、昨年経験した傘寿前の姉にいわれていたので年寄りに負けるわけにはいかんと、5月に後期高齢に突入したのを期に登ってみたいと思っていたら、6月6日そのチャンスが訪れた。「洞門元気クラブ」主催で「競秀峰探検山登り」で、なんでも「県民すこやか祭」の一環のイベントとか。
 競秀峰は大分県中津市本耶馬渓町青の「青の洞門」の上に屹立した岩峰群である。僧の禅海が30年の歳月をかけて鑿と槌だけで岩をくりぬいてトンネルを掘ったといわれる青の洞門は、菊池寛の小説『恩讐の彼方に』で夙に知られているところである。

高校3年間、朝な夕なに通学の耶馬渓鉄道の車窓から眺めた競秀峰であるが、ついぞこの山に登ったことはなかった。今回のコースは、禅海の洞門掘削以前に、村人たちが危険を冒して通ったであろう競秀峰の裏側の山道を歩こうというものである。受付20分前に到着したが幟の付近に2,3人のスタッフがいるばかりであった。9時頃になってぼちぼち集まり、結局22名の参加者となってまずは体操。 


弘法寺の前を通っていよいよトレッキングの始まり。探勝道とあるから、遊歩道のようなヤワな行程でないことを予感させる。

今日は梅雨の合間の五月晴れだが、昨日はかなりの雨だったので、山道は滑りやすく一歩一歩踏みしめて歩を進める。平坦な山道はすぐに途絶えていきなり急峻な岩山にさしかかり、50センチ幅ほどの崖道を通ることになった。足元に気をとられては頭上がおろそかになり、岩に頭を何度もぶつけながらの歩行である。

このコースは彼の名曲『箱根八里』(鳥居 忱 作詞、滝廉太郎 作曲)の歌詞を彷彿とさせる地勢ばかりである。崖道はまさに“羊腸の小径”であり、左側足の下は目くるめくばかりの“千仞の谷”である。
コースの途中の岩陰や岩窟の至る所に古びた石仏が祀られていて、往時の村人たちの安全祈願を込めた信心深さを思わせる。


雨上がりの鎖伝いの“羊腸の小径は”まさに“苔滑らか”であり、おそるおそる降りていく。降りた分だけまた登るという厳しいアップダウンの繰り返しは「探検山登り」のネーミングにふさわしい。


途中で目にしたセッコクツツジの花にしばし心が和む。


いくつかの岩山の頂上には狭い展望所があり、2年前の大水害をもたらした山国川が今は滔々と清い流れを見せている。競秀峰の上から鳥の目で俯瞰する下界もまた美しい。

断崖の広い岩窟に妙見堂がある。妙見堂は正月にはご開帳があるという。


競秀峰は山国川から見える表の顔ばかりでなく、“天下の険”や“天下の岨”らしき山の相貌が見える裏の顔もおもしろい。“八里の岩根踏みならす”“もののふ”や、“八里の岩根踏み破る”ほどの“ますらお”の勢いで登ったとはとても言い難いが、この年齢でも楽しくチャレンジできた競秀峰探検山登りであった。全行程は約3キロメートルとわずかな距離ながら、起伏の多い山道なので、下山までに約2時間弱を要した。
 カタカナで啼くほととぎす競秀峰  耶馬渓



第24回耶馬渓ホタルコンサート
午前中競秀峰探検山登りに参加したあと、山国川沿いのR212号線を遡り、初めてのホタルコンサートへ。夕方、名物のジビエ料理を食べに耶馬渓町柿坂の耶馬の里料理「天雲龍へ寄り、猪料理「猪肉溶岩石焼き定食」を注文。店主のOさんから、鉄砲以外の罠でその日のうちに獲った鹿や猪を自分で衛生的に処理していること(店の隣に「猪鹿(ちょろく)」という処理施設あり)、ジビエ料理を消費者に安心して食べてもらえるように、衛生的な獣肉の処理法や調理法を規格化していくよう県下の同業者に呼びかけていること、猪の肉を食べると傷が早くよくなる(そういえば、昔四つ足を食すことが御法度だった江戸時代、「薬喰い」と言って冬場の滋養のために禁じられた鹿や猪の肉を食っていたと言い、薬喰いの語はいまでも俳句では冬の季語になっている)などの熱弁を聞きながら、猪肉を焼いて食べた。豚肉とも牛肉とも違った、柔らかくて独特の旨味であった(ノンコールしか飲めなかったのがちょっぴり寂しかったが)。



腹ごしらえをして、コンサート会場の渓石園に向かった。渓石園は耶馬渓ダム建設記念として、ダムのすぐ下流に作られた2万平米の日本庭園である。100種類3万本以上の樹木が植えられ、初夏の新緑、秋の紅葉が耶馬渓産の大小の石の配置の中に見事な風景を見せる。この公園の芝生で開かれるん野外ライブコンサートは今年で24回を迎えるという。このコンサートの仕掛け人は、天雲龍の店主で中津耶馬渓観光協会副会長でもあるOさんである。コンサート開始前には、耶馬渓歴史観光案内人による歴史紙芝居「村上田長」の上演や、麦わらでホタルかご作りの実演なども行われた。さて、今回のコンサートはアコースティックサウンドin耶馬渓と銘打った、5人グループTuckey藤田&Lost riverの出演である。
    

アーティストのグループ名は初めて聞いたが、すばらしいカントリーナンバーの数々だった。オキーフロム・マスコギー、ふるさとへ帰りたい、テネシーワルツ、テキーラ・サンライズジャンバラヤ、ケンタッキーワルツ、カーボーイの唄など、休憩を挟んで全16曲を聴かせてくれた。ギター、ドラムス、バイオリンなどの楽器演奏はもとより、すばらしいボーカルと見事なハーモニーにもしびれた。
ライブが始まった頃にはホトトギスやウグイスの声が聞こえていたが、山際の黄昏の余光が消えていった8時近くになって、近くの林の間にホタルがポツポツと明滅するようになった。8時過ぎに終わったカントリーの余韻の中、両脇に並んだ竹灯籠の間の小径を山移川の河畔に降りると、たくさんのホタルがイルミネーションのファンタジーを演出していた。前日の雨と気温の低下でいつもより少なめらしいが、けっこう蛍の光を楽しめた。
 恋蛍草書でつづるラブレター  耶馬渓
 実行委員長のOさんによると、今年はどんなジャンルの、どんなミュージシャンを呼ぼうかということに一番心を砕くそうである。24回も積み重ねれば、その悩みのほどが理解できる。今年は地元別府の冷川(ひやかわ)ホタル鑑賞会 があったこの日に、初めての耶馬渓ホタル鑑賞コンサートの方を選んだわけであるが、楽しいひとときを過ごすことができた。Oさん、ありがとう。来年以降もホタルコンサートを続け、あなたの大好きな「ふるさと」を唄ってください。
ちなみにOさんは46,7年前、私が20代の青年教師だったころ教室にいた高校生の一人である。