Himagine雑記

思いついたときに気ままに書く雑記帳

 今市の石畳と肥後街道

去る7月17日の久住そよ風ウォークの帰り、ドライバーのMさんの案内で県道412号線沿いの今市の石畳を訪れた。

今市石畳は江戸時代、肥後藩細川氏岡藩主中川氏の参勤交代に使われた肥後街道の一部であり、全長660m、幅員8,5m、中央に幅2,1mの石畳が敷き詰められている。細川氏は熊本から大分の豊後鶴崎までの124km(31里)を4泊5日で陸路を歩き、鶴崎の港から江戸へ向けて参勤したのである。

この石畳の道には、直角に曲がるところが二か所あるが、これは外部からの目を欺くための戦略的理由からだという。

今市宿は文禄3(1594)年、岡藩の宿場町として開設された。当時は宿屋や代官所、店などが軒を連ね、人や物が行き交う拠点として繁栄したのであろう。石畳道の熊本側起点には、加藤清正が創建したと伝えられる丸山八幡神社が祀られている。
  
毎年9月には、参勤交代の頃を偲ぶとともに、町おこしの一環として今市石畳祭りが催されるが、今年は9月3日(土)開催ということである。民家の片隅に、祭りで灯されるであろう竹灯しの竹が無造作に積まれていた。
肥後街道は、加藤清正天正16(1588)年に初めて肥後国に入国したときに通った道とされ、後に清正によって拡張され肥後国豊後国間の主要な街道となった。この肥後街道は大分側からの呼び名で 熊本側からは豊後街道」と呼ばれる。
坂本龍馬も歩いた豊後街道
加藤清正が肥後街道を通ったときから276年後の1864年2月、幕末の動乱を駆け抜けた勝海舟坂本龍馬の二人は、蒸気船長崎丸で佐賀関に上陸した。港町を見下ろす徳應寺に宿泊したが、その記録「軍艦奉行 勝麟太郎様ご一行」が今も残っているという。
二人は長崎へ向けて豊後街道鶴崎、野津原、今市、久住に宿泊し肥後熊本へと肥後街道を歩いて行ったのである。
今、上陸地に残るこの記録を生かし、佐賀関観光ボランティアガイド協会が「龍馬が通った道」という観光ルートを作り始めたという。
勝海舟坂本龍馬が147年前、長崎に向けて通った今市の石畳、江戸への参勤のために細川氏、中川氏も踏みしめた同じ石畳。往時を偲び、すこしばかりの感慨をもって、平成のシニアも歩いたのだった。
不如帰龍馬も通りし石畳 渓石