Himagine雑記

思いついたときに気ままに書く雑記帳

 『劔岳 点の記』

 27日土曜日、肩頸痛で鬱々とした気分を晴らそうと、シネフレックスに映画を観に出掛けた。新田次郎の原作は読んでいないが、『八甲田山死の彷徨』を読み、これを映画化した『八甲田山』を観た者にとってはこれは見逃せない映画である。この映画は6月20日に全国公開となったばかりであり、『おくりびと』以来の期待の映画である。タイトルのうちの「点の記」とは、「国家基準点(三角点、水準点)ごとに点名、所在地、設置年月日、選点者、観測者、そこに至る順路と略図等を記載したもの」である。
        

ものがたり
 明治39年、測量手の芝崎芳太郎(浅野忠信)は陸軍参謀本部陸地測量部長大久保徳明(笹野高史)から、立山連山の最高峰剣岳山頂に三角点設置を命ぜられる。日露戦争に勝利はしたが、以後の国土防衛に必要な完全な日本地図作製のために、剣岳の「点の記」実現は陸軍陸地測量部の名誉をかけた一大事業である。同じ頃、日本山岳会も前人未踏の剣岳山頂征服を目ざしていた。
 厳命を受けた芝崎測量手は、剣岳登頂を目指して果たし得なかった先輩の古田盛作(役所広司)から紹介された信頼できる謙虚な地元の案内人、宇治長次郎(香川照之)を伴って予備調査に入る。登山には最も危険な山とされる剣岳は予想はしていたが、垂直に立ちはだかる岸壁は人間を寄せ付けない現実を見せつけ呆然と立ちすくむばかりである。本部にその旨報告すれど、測量部長の厳命は変わらない。その裏には、「金持ちの遊びである山岳会などに先を越されては、陸軍の面目丸つぶれだ」という焦りもあった。芝崎は「俺がやるしかない」と覚悟を決めるが、まず第一歩から難題が持ち上がった。剣岳は“神の山”であり、登頂などということは神域を侵す罰当たりの行為であるとして、地元からの資材や測量器具を運ぶ人手が゙集まらないことであった。案内人長次郎は隣村から何とか人を集め、柴崎測量隊はいよいよ山に挑む。雪崩にまきこまれ、吹雪でテントを飛ばされ、測夫の生田信(松田龍平)が岸壁から滑落するなどの難行苦行の末、明治40年7月13日、ついに山頂に四等三角点をうち立てることに成功した。しかし、柴崎らがその山頂に見た物は……。
みどころ
 峻険であればあるほどに美しい立山連峰の大パノラマ、何といってもこれに尽きる。
木村大作の初監督作品であるが、監督としてよりカメラマンとしての芸術性とテクニックがこの大自然の神秘的美しさを満喫させる。かつて、「日本沈没」「八甲田山「海峡」小説吉田学校」「極道の妻たち」「花の乱」「居酒屋兆治」「鉄道員」等々、代表作と言われる映画作品の撮影だけでも40作以上を数える。
この映画では、今はやりのCGも空撮も一切使わなかったそうだ。海抜2999メートルに及ぶ険しい劔岳に挑み、2年間で200日以上かけて撮影したという木村大作のカメラマン魂によるパノラマ映像は、目もくらむばかりで圧倒される。秋の紅葉と冬の雪景色、さらに夏羽と冬羽の雷鳥の姿,ニホンカモシカの姿等が池辺晋一郎の音楽で味付けされる。山の春夏秋冬の映像と、ビバルディの『四季』を基調にした弦楽合奏によって醸される神秘的な響きは、みごとなコラボレーションである。また、劇中の人物による心に残る言葉がある。案内人長次郎の「誰かが行かねば、道はできねえもんだ」や、柴崎の妻・葉津よ(宮崎あおい)がつぶやいた柴崎の言葉「大切なことは何をしたかではなく、何のためにしたかだ」など。
 視覚と聴覚への心地よい刺激によって、鬱陶しい神経痛を、鍼灸以上に癒してくれた2時間25分であった。
 今日は「志高・神楽女湖ウォーク」の日であったが、神経痛のため用心をして参加しなかった。雨も上がって、遠くは霧に霞む神楽女湖の花菖蒲がさぞやきれいであったろうと思うと、いささかくやしい。参加者の六尺さんが多分書くであろうブログを見て、軽く嫉妬しよう。
見てもいないが花菖蒲を見たつもりで一句  神楽女の裳裾の襞の花菖蒲