Himagine雑記

思いついたときに気ままに書く雑記帳

「おくりびと」ふたたび


昨日「おくりびと」の二回目を観に行きました。同じ感動を二度も味わったことですが、今回はアカデミー賞の審査員がこの映画のどんなところに注目し、なぜ高い点を付けたのだろうかなどという余計なことが頭にありました。
主人公・小林大悟本木雅弘)は妻・美智子(広末涼子)から「どんな仕事なの」と聞かれ、「冠婚葬祭関係」と答えて本当のことをずっと言えずにいました。ある日、夫が死人のモデルをしている会社のキャンペーン用DVDを観た妻は、納棺師であることを知ってしまいます。「やめて、そんな汚らわしい仕事なんか辞めて。私に近づかないで、触れないで!」と絶叫する妻は、実家に帰ってしまいます。この場面で、賞決定の審査員は≪納棺師=汚らわしい職業≫をどう理解したのだろうか、というのが私の大きな関心事です。イヤイヤ、日本人の観客の多くが表に出さなくても心の底ではそう思っていると思うのですが、そう思うのはなぜでしょうか。
ケガレってなんだろう?
そのおおもとは何と日本の古代社会にまで遡ります。奈良時代、殺生禁断の思想の濃いヒンズー教の影響を受けた仏教が中国を経て日本にはいりますが、これは空海最澄による殺生戒中心の戒律思想として広まります。この中には淨・穢の観念がありました。平安時代になると、そのころの政治の規準である『延喜式』(905年〜909年完成)が制定されます。古代社会には三不浄(死ケガレ・産ケガレ・血ケガレ)があり、なんと延喜式でケガレが規定されました。たとえば、死ケガレは30日の忌みで人に会ってはならぬ、外出はならぬ、この死人の甲の家に行った乙は20日間忌むこと。さらに乙の所に行った丙は10日間の忌み、さらに丙のうちに行った者は3日間の忌みという具合。このようにケガレは伝染するものであり、ケガレやケガレに触れたときは祓って浄めなければならないとされたのです。女性のお産や月ごとの生理も穢れたものとされました。この延喜式は単なる習俗ではなくれっきとした法規だったわけですが、平安・鎌倉・室町・戦国・江戸時代までつづき、明治6年(1873)2月、太政官布告61号で「今より混穢の制廃され候事」と触穢の制を廃止することを決定通知しました。なんと、950年以上も延喜式の規定が民を支配していたわけです。しかし、「忌引き」は今でもまだ残っていますね。
今なお残るケガレ意識
 「汚らわしい、近づかないで、触れないで!」とかわいい広末涼子さんの口から発せられた言葉にビクッと身が縮み戦慄を覚えました。ここの態度はあからさまに、死体に触れる納棺師の本木君を忌避したわけですね。延喜式の、死は穢れたものだから触れるな避けるべし、そのものです。
 今は仏教でも死をケガレとはとっていません。今は殆どの葬祭業社が配る会葬御礼には、死はケガレにあらずと説明した紙片を入れて、「浄め塩」を無くしています。出産も死も、厳かで尊いものです。したがって死に関わる仕事も厳粛な専門職として認知されなければなりません。いつまでも古代の延喜式に引きずられてケガレ意識にとらわれることなく、不合理な偏見に惑わされぬように自己解放したいものです。
 まだ、学校のいじめで、「きたない、けがれる」という言葉がいとも簡単に吐かれることがあるそうですが、言った本人は「深い意味はなかった」などというとか。深い意味もなくても、忌避や排除の刃の言葉と受け取った側が、自殺に追い込まれていくという悲劇も生まれるのではないでしょうか。
 映画では銭湯のおばさんの納棺や、夫の父親の納棺をする姿を目にして、妻がはじめて夫の納棺師の仕事への偏見を無くしていくという結末になっています。
 偏見や差別は実態を知らないことから起こりやすいものです。「事実を知れば、真実に限りなく近づける」ということに気付きたいものです。「死は門です。私はあちらへ旅立つ人を送る門番です」という火葬場職員の言葉と、この職員を演じた名バイプレーヤー笹野高史さんの名演技にも脱帽でした。また、納棺会社「NKエージェント」社長役、山崎努の人生を達観しきったような渋みの濃い演技も印象的でした。
 P・S
 いま、TBS独占テレビを見ていたら、でアカデミー賞審査委員長マーク・ジョンソン氏が、「おくりびと」の受賞決定4つのポイントを挙げていました。
(1)世界が唸った美しい儀式
(2)世界に通用する親子の関係
(3)世界に通用する夫婦の関係
(4)世界に通用するコミカルな演技
 そして委員長に最も受け、爆笑したシーンは、女性であると思っていた死体に「うん?ついている」と主人公が一瞬手を止めたシーンだと語っていました。