Himagine雑記

思いついたときに気ままに書く雑記帳

旧暦

     
    
1月7日「七種粥」と1月8日「春を待つ」のブログで旧暦のことに触れたが、日本の古典や江戸時代以前の俳句を読むときには、日付や季節を旧暦モードに切り替えないと読み間違うことになる。 『日本書紀』巻第三 
「その年冬十月五日に、天皇は…」、「夏四月九日に、皇軍は、「秋八月二日…」、「辛酉の年春一月一日…」と出てくるが、旧暦では春が1,2,3月・夏が4,5,6月・秋が7,8,9月・冬が10,11,12月である。
枕草子
第六段「…三月三日、頭弁の柳かづらせさせ、桃の花をかざしにささせ…」柳も桃も、新暦では約1ヶ月遅れの4月初めだから咲いている。
第三十段「五月など、すべて雨いとふらんとする年は…」新暦6月の梅雨の描写である。
第二百四十九段「八月つごもりに、太秦に詣づとて、穂に出でたる田に人お北手騒ぐ。稲刈るなり」
八月つごもりは秋で今の9月下旬から10月初旬の稲刈り最盛期。八月の稲刈りとは早稲品種だろうか、早場米の品種改良も古くからあったんだ、などと考えるは間違いということになる。
徒然草
第十九段「五月、あやめふく頃…」端午の節句にはあやめ(菖蒲)を軒にさし邪気を払った。新暦では6月であるが、旧暦の5月5日をそのまま新暦の5月5日に当てているので、菖蒲の頃とはずれてしまう。
「六月の頃、あやしき家に夕顔の白く見えて、蚊遣火ふすぶるもあはれなり」貧しい民家の軒先に白い夕顔がさいていて、蚊を払う火がくすぶっている風景は真夏である。
 元禄15年(1702)12月14日は赤穂浪士討ち入りの日である。日本人の好きな「忠臣蔵」のドラマが新旧作品織り交ぜてこの頃よくテレビで放映される。雪の中の討ち入り場面が甚だカッコイイのであるが、この日の本所吉良邸のあたりは雪が積もっていたのだろうか。旧暦12月14日は1703年1月30日である。この頃なら積雪があって当然である。今12月14日に行っている泉岳寺の義士祭も旧暦の時期に合わせて、新暦の1月30日にやればもっと雰囲気が出よう。
カレンダーを見るたびに、今日は旧暦の何日かな、と旧暦日付に目がいくこのごろである。
               (参考 『旧暦はくらしの羅針盤小林弦彦著)
※「社団法人大阪南太平洋協会」というところが、毎年「旧暦カレンダー」を発行しているそうだ。