Himagine雑記

思いついたときに気ままに書く雑記帳

春を待つ

       
 今年の別府の元日は雪であった。大晦日に続く寒々とした年の明けであった。だが、寒に身の締まるような淑気を感じもした。元日に降る雪や雨をさして「御降り(おさがり)」という新年の季語がある。
御降りの祝儀に雪もちらりかな 小林一茶
鶴見嶺は雪化粧だったが、平地では午後には雪も止んだので一茶の句が実感できた。
 寒さは正月から1月いっぱいは続く。なのに年賀状には「初春」「新春」「賀春」の文字ばかりで、季節感がずれている。三月三日の雛祭りも五月五日の端午の節句も、季節感のずれたままの行事になっているそもそもの発端は、明治5年の政府の「改暦の詔」と「太政官布告」である。明治5年12月3日を太陽暦に改暦して、明治6年1月1日にしたことにはじまり(だから、日本の歴史の中に明治5年12月4日から大晦日までの日付は存在しない)、「諸祭典等旧暦月日を新暦月日に相当し施行致すべき事」によって年中行事に混乱をもたらした。したがって、きのう1月7日の七草粥の材料は野原にはなくスーパーでパックを買わねばならぬし、三月三日の雛祭りにはまだ桃の花など咲かないので、幼稚園では色紙で桃の花飾りを作らねばならない。しかし、庶民の智恵か、お盆の旧7月15日や仲秋の名月の旧8月15日は今は月遅れでやっているのが普通だ。これらは約一ヶ月遅れで季節感に近い。年賀状の「初春」「新春」「頌春」「賀春」などは、旧正月か月遅れの2月ならほぼ季節感に近い。
 今年いただいた年賀状の中で、「春」の字があったものをかぞえると、約三分の一の30枚であった。季節感にあわないままに慣習として年賀状に書く「春」は、厳冬の正月に「待春」の気持ちが込められていると思いたい。