Himagine雑記

思いついたときに気ままに書く雑記帳

 「中る」について考える

 昨夜は珍しいものが食前にあがった。牡蛎である。鍋物にいつも少量入れるので牡蛎自体は珍しくないが、「生食」である。生で大丈夫かなーと一瞬思ったが、いつものようにおろし大根で良く洗っていて、プリプリした大粒の広島産はいかにも美味しそうである。カボスをたっぷり絞り、まず妻が毒味といって一粒食す。「大丈夫よ」と言って台所に消えた。いま食ったんだから、そら、今は大丈夫だろうよとつぶやきつつ食べると、確かに旨い(よくいうように海のミルクとは思わないが)。コップ1杯のお湯割り焼酎の肴に8粒か9粒位も食べた。「ためして合点」を見て、「その時歴史が動いた 大友宗麟」を楽しもうと思っていた「そのとき、下腹部がグルグルと動いた」「うん?」悪い予感だ。トイレに直行。案の定下痢った。大友宗麟の途中にトイレに飛び込むのは宗麟さんに失礼だと思って、始まる直前に2回目。滝のような勢いであった。そのまま番組終了の10時45分まではお腹がおとなしかった。
 考えてみれば食べ過ぎだ。5粒ぐらいまでが適量だったのだ。1粒しか食べなかった妻はなんともなかった。佐賀であった九州中学駅伝大会の選手達が食中毒でレース欠場というチームが何校か出たが、気の毒になあと思ったものだ。己が食中毒になろうとは思ってもみなかった。幸い下痢だけで、嘔吐はなかった。若い頃、飲み過ぎてはよく吐いたものだが、中年以降はこんなこともない。

 さて、「あたる」は「中る」で、的に当たれば命中・的中、年末ジャンボ宝くじの抽選会も、桁数だけ並んだ0から9までの数字の入った円盤を回しながらヒョウとばかり矢を射る。まさに的中である。これは中れば嬉しいが、「中毒」は「毒に中る」であり、こちらはあまり嬉しくない。
 昔、船田 中という代議士がいたが、この人は選挙の立候補者ポスターには「ちゅう」と仮名が振ってあったが、出生届は「あたる」だったのではないだろうか。まさか命名者は「毒に中る」ようにではなく、当選、的中のほうの「あたる」を願ったのではなかろうか(想像に過ぎないが)。

 身近に「中根」という苗字の人がいる。これは「根に中る」ということだろうか。昔から大根は生でも煮て食べても中らないといわれ、このことから全くあたらない、売れない役者のことを大根役者という。件の中根さんは「大根」より小さい「中根」ということか、或いは「根性が中くらい」なのか、そんなこといったら、中根さんに失礼というものです。

 昨夜の牡蛎の「中り」は腹痛も嘔吐もなく、もっぱらシャーシャー下るだけだった。それにしても、今晩はコーラスの定例練習日なのに、弱ったなあ、臍下丹田に力が入らない。 
 
 未だかつて年末宝くじは買ったことがないが、今年は買ってみようかな、中るかもしれん。