Himagine雑記

思いついたときに気ままに書く雑記帳

 カレンダーの日

今日12月3日カレンダーの日だそうだ。明治5年(1872)12月3日明治6年1月1日とする現行暦(太陽暦)に変わった日を記念するという趣旨である。
明治政府は明治5年11月9日、突然「改暦の詔(みことのり)」を発布し、次のような「太政官布告」を出した。
一、今般太陰暦を廃し、太陽暦御頒行相成り候に付、来る十二月三日を以て明治六年一月一日と定められ候事。
一、一箇年三百六十五日、十二箇月に分ち、四年毎に一日の閏を置き候事。
一、時刻の儀、(中略)時刻昼夜平分に二十四時に定め、子の刻より午の刻迄を十二時に分かち、午前幾時と称し、午の刻より子の刻迄を十二時に分かち、午後幾時と称え候事。
    (参考『旧暦はくらしの羅針盤小林弦彦 NHK出版)
以上のように、12月3日が突然1月1日となったので、明治5年は12月4四日以降の日々は歴史上存在しなくなったのである。
歴史の大きな転換点にはいつも混乱が生じるものである。この年の改暦でもっとも困ったのは暦製作業者である。年末押し詰まった12月にはすでに翌年の暦の印刷はできあがっていたから、これがパーとなってしまった。大損害である。考えてみると、似たようなことは22年前にも起こっている。昭和天皇は昭和64年(1989)1月7日に逝去し、翌8日に平成改元された。したがって昭和64年は1月8日以降の日々は歴史上存在しない。実は、昭和天皇逝去に至る病状などのマスコミ情報は全く見聞きしていない。先妻が12月23日に突然倒れて入院したあと急激に重篤に陥り、年が明けて1月6日早朝に亡くなって7日に通夜、8日に葬儀を営むという家庭状況であった。葬儀の直前に葬儀社から急報あり、「昭和が平成に変わりました。用意できている会葬御礼の元号を平成に刷り直しましょう」という。私は「その必要はありません。そちらも今からの印刷やり直しは大変でしょう。それに、歴史上存在しない昭和64年1月8日という日付けの会葬御礼を貰った会葬者には記念になるかもしれませんよ」と伝えた。葬儀社は刷り直しの手間と費用がかからず、安堵したようだった。今から考えると、結構冷静でいたものだ。
 さて、「太政官布告」には次のような補則があった。
一、諸祭典等旧暦月日を新暦月日に相当し施行致すべき事。
旧暦時代に日本人の生活に定着していた正月や五節句、お盆そのほか神社仏閣の年中行事を旧暦の日付をそのまま新暦の日付に当てはめよ、というものである。
たとえば、旧暦1月1日日の正月元日をそのまま新暦の1月1日に、同様に1月7日の七草粥、3月3日の雛祭り、5月5日の端午の節句、7月7日の七夕等もそのまま新暦の同じ月日に当てたのであるが、これらはみんな現実の季節感とは合致しない。新暦の1月1日は震え上がる寒さで「春」の季節感には遠いので、私は年賀状に「新春」は使わないことにしている。月遅れの旧正月として2月1日を祝うにしても、日本列島にはまだ春は来ていない。1月7日の七草も、野原には草は何もはえてない頃でスーパーの七草セットでしか粥は味わえない。3月3日の桃の節句というが、桃はおろか梅の花が満開でまだ桜も咲いていない。
              
インターネットを覗くと、旧暦カレンダーに関するサイトがたくさんある。そのひとつの新・旧暦換算表のウェブサイトを見ると、来年卯年2011年の七草粥(旧1月7日)は現行暦(新)の2月9日、雛祭り(旧3月3日)は新4月5日、端午の節句(旧5月5日)は新6月6日、七夕(旧7月7日)は新8月6日、重陽節句(旧9月9日)は新10月5日、中秋の名月(旧8月15日)は新9月12日である。旧暦(太陰暦)は古来、農事暦として大いに役立ってきたが、604年から1872年までの1269年間日本国民に使用されてきた旧暦が、近代化の名の下に公式に使われなくなった12月3日がカレンダーの日というわけである。逆に言えば、12月3日は新暦誕生であるとともに、旧暦廃止=旧暦の命日でもある。
最近は異常気象が続いて四季の変化や四季の期間が狂ってきているようであるが、特に今年は、春と秋がきわめて短かった気がするのは私だけだろうか。狭い菜園で野菜を育てたり、波止場釣りや磯遊びをしたり俳句をひねったりするときに旧暦は役に立つことが多い。今も旧暦カレンダーが販売されているようだが、本来の季節感を感じるためにも、新・旧暦換算ウェブサイトでその日の旧暦の日付を確かめようと思っている。そのために、来年の卓上カレンダーに旧暦の日付を書き入れたところである。