Himagine雑記

思いついたときに気ままに書く雑記帳

 六郷満山峯入り

大分県国東半島に平安時代から伝わる天台宗の荒行(あらぎょう)六郷満山峯入り(ろくごうまんざんみねいり)が始まった。
いつ頃始まったのかつまびらかでないが、10年に一度行われるこの行事は明治以降途絶えていたが、1959(昭和34)年に復活したという。以来、現在も10年に一度行われている。六郷満山の開祖、仁聞菩薩(にんもんぼさつ)の足跡を追って、天台宗の行者たちが白装束に身を包み、錫杖(しゃくじょう)をついて草鞋掛けで法螺貝を吹いて国東半島の峯々を越え、霊場を巡る行である。
      
3月31日、秋吉文隆・文殊仙寺住職を大先達とする約30人の修行僧のあとを、「南無仁聞菩薩」と背中に書かれた淨衣をまとった一般参加者約120人が歩いた。

  「六郷満山峯入り行体験ツアー」
別府史談会の後藤会長さんからのお誘いで、このツアーに参加した。峯入り行の体験ツアーであるが、行者と共に歩くわけではなく、行者が祈りを捧げる下記の各霊場にジャンボタクシーに乗って先回りして行者一行をお迎えし、次の霊場へ向かう一行をお見送りするというものである。
胎蔵寺〜伝乗寺(真木大堂)〜穴井戸観音〜岩脇寺〜元宮磨崖仏〜富貴寺〜白鳥神社〜西叡山高山寺妙覚寺長安
まず、胎蔵寺で礼拝のあと、白衣を羽織り「わげさ」を首から提げ、持参の数珠を持って行者の一行を送る。
    
 
タクシーで真木大堂へ先回りして一行をお迎え。法螺貝の響きがだんだん近づき大先達を先頭にした行者一行が到着すると、一斉に「般若心経」を唱える。我々ツアー客もあらかじめ戴いた般若心経を唱和することになる。

4月4日までの約150キロの全行程の踏破行には、子どもの行者も参加している。
    
岩脇寺のあと、行者一行だけが、道路から見上げる険しい岩山の羊腸の小径を渡る。木々の間から行者がなにやら花びらのようなものを投げるが、途中の藪に引っかかってはるか下の我々のところまでは届かない。「散華の行」というそうだ。
    
富貴寺の下の河畔で「岩飛び」の行があった。注連縄を張った3メートルほどの高さの大岩から、行者が飛び降りるものである。
    
女性の行者も果敢に飛び降りた。
    
午前中の最後の行であったが、疲れたであろう足が大丈夫だったろうかと心配された。下に畳が2枚敷かれていて、峯々を跳び回る修験者というイメージからやや遠いものだったが。
行者たちが歩く道々には、少しでもいいアングルでいい絵を撮ろうと、メディアや市民カメラマンたちのカメラの放列がしかれている。
白鳥神社では満開の桜が行者一行を迎えた。
    
何とかもつかに見えた空模様も、妙覚寺に入る頃には雨となり、行者一行も簡易合羽を纏わねばならなかった。
    
ニラやニンニクなどの臭い野菜は不浄であり、酒は淨念を乱すので清浄な寺門にはいることは許されない。この生半可な知識があったばっかりに、昼食前のビールは我慢して注文しなかった。
    
黄昏に桜の花がぼんやり霞む頃、法螺貝の響きが近づき、今日の最後の霊場で最初の宿坊である長安寺に行者をお迎えしたときはすっかりあたりは暗くなっていた。法螺貝を嫋々と吹き鳴らしながら片方の手で鐘を撞く行者の白衣が、幽かに浮いて見える。
雨に打たれて、皆さん疲労困憊の色が濃い。今日、最後の般若心経が長安寺に響きわたった。
    
最後の長安寺では美味しい梅干しや漬け物、お茶のお接待にあずかった。疲れ果てた行者の一行を見て、チャーターしたタクシーで各霊場まで動き、迎え、送る、というイージーな「体験」ツアーをやや恥ずかしく思ったりした。しかし10年に一度の一大イベントをこのような形ででも体験できたことは得難いことである。折しも「山又山山桜又山桜  阿波野青畝」の風景であった。道中の地理・歴史に詳しく、行く先々の寺社の縁起にも精通していらっしゃる後藤史談会会長さんと同じ車に乗り合わせ、先生のタイムリーなガイドで大いに耳学問ができて幸いであった。10年前の機会だったら、行者の後について歩く一般参加もできただろう。次回の10年先は、今回のようなタクシーツアーなら何とか参加できるかもしれない。
法螺響く六郷満山春の風
《追記》
後日のTOSスーパーニュースで、4月1日、鎖を伝って険しい岩山を登り、山頂付近の絶壁の岩の間にかかる最大の難所、高さ180メートル、長さ5.7メートル、幅1,2メートルの「無明橋」を修行僧たちが渡る画面が見られた。
長安寺を出発した4月1日からが本当の苦行難行が続くのだろう。富貴寺下の河畔で見た「岩飛び」は、いわば、観光客向けのセレモニーの一つだったのかもしれない。一行が無事に峯入りの荒行をクリアし、結願されんことを祈るばかりだ。