建国記念の日
きょうは「建国記念の日」で、「建国記念日」ではない。今年も各地で記念の集会や行事が開かれたようだ。「建国記念の日を奉祝する会」と「建国記念の日に反対する会」である。この二つの系統の集会が全国レベルでも各県レベルでも毎年開かれているが、それぞれどのような内容の会なのかは、どちらにも参加したことがないので体験的にはわからない。だが、報道等により想像はつく。
2月11日が日本書紀の神武天皇即位の記述にもとづくこと、明治政府によって2月11日が紀元節と定められたこと、先の大戦後に紀元節が廃されたこと、戦後、自民党の議員立法として「建国記念日」法案が提出されたが野党第一党の社会党の反対で成立せず、この問題はその後15年間の与野党の争点となり、昭和41年に「建国をしのび、国を愛する心を養う」ということで双方が妥協し「建国記念の日」を定める祝日法改正案が成立したこと等は、昨年2月10日の本ブログ「建国記念の日」〜なぜ「の」が入るのにかなり詳しく書いたとおりである。
建国記念の日を「奉祝する会」にも「反対する会」のいずれにも与しないが、政治的な意味を抜きにすれば、「建国をしのび、国を愛する心を養う」という祝日法にある趣旨を理解し、神話、伝承としての日本書紀を読んでみることは文学的、歴史的には意味あることなのかもしれない。古事記や日本書紀は非科学的な荒唐無稽な絵空事であるとかたづけてしまって無視するか、神話として現代文訳ででも読んでみようかと、どちらをとるかは人それぞれである。
ちなみに全国紙5紙(朝日・産経・日経・毎日・讀賣)の中で今日の朝刊の社説、コラムで「建国記念の日」についての記述があったのは産経新聞の「主張」欄だけであった。その最後のほうには「…建国当初の国家がそのまま現在につながり、神武天皇以来125代の長きにわたって皇統も継承されてきた。この歴史に、国民はもっと誇りを持ってよいのではないか。その誇りがひいては、日本の国を愛し、日本の伝統文化や国語を大切にする心を養うことにもつながるだろう。」
この新聞社のカラー、スタンスがよく分かる主張である。