Himagine雑記

思いついたときに気ままに書く雑記帳

 亀川浜田温泉・資料館


歴史
 今から130年前の明治12年(1779)、古市村の高橋増吉が植えている麦の生育が早いのを不思議に思って地区民と一緒に掘ったところ、ぬるい温泉がわき出しました。その後掘り進めて熱い湯が湧き、公衆浴場として整備されました。 
大正9年(1920)御越(おこし)町の町長は、1階は男女各浴泉2,砂湯1に、2階は料亭の木造2階建ての浜田温泉館として改築しました。
昭和10年(1935)9月、亀川町・石垣村・朝日村別府市と合併したのを記念して浜田温泉館が大改築されました。浴室はひょうたん形の浴槽に蒸し湯が併設され、外観は唐破風の玄関の上に千鳥破風を乗せた重厚な宮造りです。これは、当時関東地方の和風銭湯ではやっていたものを別府市役所の技師・池田三比古がいち早く取り入れたものです。ちなみに、竹瓦温泉の唐破風は浜田温泉館より3年後に造られたそうです。昭和40年代には2階部分を増改築し町内公民館として利用されるなど、建築以来68年間別府八湯亀川温泉のシンボルとして活用されましたが、老朽化が激しく、道を隔てた東側に新しい浜田温泉が建設されたこともあり、平成15年(2003)に解体されました。その前後、市民の間に旧浜田温泉会館を惜しみ復元してはという声が高まります。そんなとき、市民の熱い思いに共鳴した一人の篤志家が建物の復元費用として6,500万円を市に寄付しました。その結果平成17年(2005)8月、「別府市浜田温泉資料館」が竣工、開館しました。資料館は、外部は当初建設時の通りに再現し、旧部材を可能な限り使用しています。内部は、浴槽等をそのまま残して資料室とし、一方の浴室は上部を板張りとして自由に利用できるコミュニティフロアとなってます。
なぜかグランドピアノが
  
 フロアの一角に1台の古びたグランドピアノがあります。温泉資料館としては場違いな、と思うのですが、なにやら曰く因縁がありそうな…。
説明書きによると、

【アルフレッド・コルトーの演奏ピアノ】
昭和27年朝日新聞社の招待で来日した際に、別府市公会堂の「ピアノ開き」のための特別演奏公演が実現。その時に演奏したヤマハピアノを展示しています。
(メーカ・型式) ヤマハ・G35
(購入年月日)  昭和27年10月5日(1952年)
(購入価格)   460,000円
(購入先)    浜田楽器(当時流川にあった楽器店)
(その他)    コルトーが演奏した唯一の国産ピアノ

このピアノのウリは上記(その他)のコルトーが演奏した唯一の国産ピアノです。
コルトーは20世紀前半のフランスの有名なピアニストだということですが、海外の演奏会でもスタンウエイのピアノしか弾かなかったのです。ところが、一地方の公会堂が買ったばかりのピアノ開きということで、コルトーさん、ハラの太いところを見せヤマハのピアノを弾いてくれたのです。そればかりか、練習やリハーサルは元来誰にも聞かせなかったというのに、別府では西小学校のよい子達に練習を公開しているのです。その写真も展示してあります。別府温泉がよほど気に入ったコルトーさん、別府に対する破格のサービスだったのですね。
 それにしても、そのピアノが別府市公会堂(現中央公民館)でなくて、なぜ、ここ温泉資料館にあるのでしょうか。係員さんに聞いてみました。「よく知りませんが、中央公民館には置き場がなくてここに置いてあるのでしょう。」とみもふたもないお答え。ピアノは古ぼけているとはいえ、みもふたも、椅子さえも揃っているというのに、何だかかわいそうです。「月光の夏」の、あのピアノを思い出しました。でも、そんないわれのあるピアノをどこであれ、残してくれているということに敬意を払います。
なぜか関取が 

 温泉資料館にしては場違いに感じる展示物がもう一つ。別府市出身のもと大相撲・前頭、琴別府関の大きな写真です。琴別府関の明け荷まであります。なしか?じつは琴別府の生家はこの温泉資料館の北側に並び4,5軒先にあります。それだけではなく、その家で今、元琴別府はお母さんと一緒に豆腐を作っているのです。
関取の写真を展示しているスペースは「コミュニティフロア」ですから、本当に〈ご近所さん〉である元関取の現役時代の勇姿を飾ってあるのはけだし納得です。
エアコンもない資料館ですが、一見の価値ありです。汗をかいたら(冬、寒さに凍えたら)お向かいの新浜田温泉に入湯しましょう。