Himagine雑記

思いついたときに気ままに書く雑記帳

光り輝く国スリランカ

  
 もう昨年のことになります。近所にAPU立命館アジア太平洋大学学生寮クレオハイツ」があり、アジア各国からの留学生によく出会います。女学生に出会ったのできいてみました。「お国はどちらですか。」「スリランカです。」「“インド洋の宝石”スリランカですか。首都はスリジャヤワルダナプラコッテですね。」「よく知っていますね。首都を言ってくれたのは初めてです。」彼女は爽やかな日本語でにこやかに答えてくれました。

スリランカ政府軍が反政府勢力タミル・イ−ラム解放のトラ(LTTE)を武力制圧した。ラジャバクサ大統領は〔政府軍の勝利〕を正式に宣言した。」 これは先日の国際ニュースです。
 北海道の8割ほどの面積のスリランカは、約2千万人の国民のうち7割余は仏教徒中心のシンハラ人ですが、ヒンズー教が大多数のタミル人2割ほどいます。タミル人が多く住む東部・北部の独立を目指して、1983年頃から武力闘争を始めたのが「タミル・イーラム解放のトラ(LTTE)です。アジアで最長の内戦といわれ、この間の犠牲者は7万人を越えます。最近はLTTEが5万人の民間人を「人間の楯」として政府軍に徹底抗戦していて、国連安保理が人道的な立場から停戦を勧告していたところでした。政府の武力攻撃によりLTTEの指導者ブラバカラン議長は戦闘で死亡し、組織は壊滅的な打撃を受けて一応内戦は終結しました。このスリランカ内戦も世界の民族紛争と同じように、植民地支配の歴史を引きずっています。セイロンと呼ばれたこの島を統治していたイギリスは、仏教徒の多い多数派シンハラ人の抵抗を抑えるためにヒンズー教徒中心の少数派タミル人を重用しました。1948年にイギリスから独立したあとは、政府の主導権を握ったシンハラ人は、反動でタミル人の権利を制限し仏教を優遇するなど、タミル人差別の政策を進めていきました。このため、タミル人の反発を背景にプラバカラン議長らがLTTEを結成して、タミル人国家樹立を旗印に反政府(反シンハラ人)武力闘争をはじめ25年間も内戦が続いたのです。
 国名がセイロンからスリランカへ、首都がコロンボからスリジャヤワルダナプラコッテへと変わってもその間ずっと内戦が続いていたこの国が、ほんとうにスリ(光り輝く)ランカ(島)になるためには、和平に向けての双方の和解が実現することを待つのみですが、国際的な、とりわけ日本の援助が引き続き必要なようです。日本のこの国へのODAの比率は世界全体の3割を占め、日本出資で病院も建設されているのです。元国連事務次長の明石庚日本政府代表は、何度も現地に入り人道的な配慮をスリランカ政府に要請し,LTTEにも政治参加させるように呼びかけているそうです。
 ところで、冒頭のイスラムからの留学生に私がなぜ、即座に「首都はスリジャヤワルダナプラコッテですね」と言えたのでしょうか。かつて私がガッコんセンセをしてたときに、「地図帳の終わりの国名がある資料ページで、世界各国の長い名前の首都のベスト3を書き抜き、覚えちょけ!ミニテストに出すぞ」と高校生を恫喝していたことがあります。ブルネイバンダルスリブガワンやコロンビアのサンタフェデポゴタなども、舌を噛み噛み生徒らは覚えさせられたのでした。生徒曰く「先生は世界各国の全首都名を覚えていますか」と生徒。「そげな無駄なこたあせん。調べりゃわかるこっじゃ。そげな暇があったら好きな本でん読んじょく」といい加減なセンセの私でしたなあ。