Himagine雑記

思いついたときに気ままに書く雑記帳

さようなら「富士」 (2)


 東京〜大分間千キロ以上を17時間かけて44年間走り続けた寝台特急「富士」、ラストランに東京駅では3000人、大分駅では1200人が見送ったといいます。上京と里帰りの長距離移動にはなくてはならない鉄道便でした。各地方、各世代の人々のさまざまな記憶と想い出を、二本のレールの上に乗せて走り続けた44年でした。
昨夕18時3分東京駅発の下り最終便は、大分駅には今日の11時17分着の予定でした。我が家の下あたりは、予定では10時57分頃と見て待ちかまえました。最終便だから途中少しずつは遅れるだろうとは覚悟の上。定位置で待っていると突然一転にわかにかき曇り、霰混じりの時雨となりました。ところが予定を10分過ぎても、カンカン鳴る踏切り警報のたびごとにデジカメのアングルを決めて待てどくらせど、通るのは他の電車ばかり。後、上下10回の電車が通るごとにかまえた空振りの回数を数えたが、それ以上は数えるのがめんどうになってしまいました。一体どのくらい遅れているのか全く情報がないので、途中で帰るわけのもいかず、一瞬のチャンスのために待ちに待ちました。途中で事故にあったのかなあ、下関止まりとなったのかなあといろいろ考えたが、折角今まで待ったので来るまで待つこと2時間近く、来た来た、やっと来た。踏切近くにいたカメラマンにさよならの警笛を鳴らしてアッという間に通り過ぎてしまいました。2時間待って数秒のシャッターチャンスでした。大病院の待合室で待たされたあとの受診時間より短い瞬間でした。満を持して構えたた割には、平凡な絵しか撮れませんでした。待ちに待って撮った下の2枚は、『別府の古い道 歴史散歩』23ページ左上の写真と全く同じ位置で撮ったものです。いわば定点観測写真です。
         
         
 昨日もそうでしたが、「富士」の運転士は沿道のカメラマンには、必ず警笛で挨拶を送ってくれました。大分駅でも多くの人々が2時間待って、この最終便を迎えたことでしょう。さようならブルートレイン
春寒し寝台特急「富士」去りぬ