Himagine雑記

思いついたときに気ままに書く雑記帳

便利・速い

          
就職2年目から3年間、自炊生活をしたことがあります。ご飯はガス釜で炊いたが一人分を二日分炊いていたと思います。山奥のことゆえ、近くには何でも屋の小さな店1軒しかなく、魚は干物しか食べられなかったなあ。よくお世話になったのは、マルタイの棒状ラーメン。飯炊きが面倒なときには、三食マルタイラーメンの日もありました。思えば45年も前のことです。
 それに引き替え、今の独身者の一人暮らしは不自由がなくてうらやましい。かなり田舎の方でもコンビニがあり、弁当や冷凍食品がすぐ手に入りサラダもフィルムを剥げばすぐに食べられます。インスタントラーメンの種類も豊富です。冷凍物もレンジでチンすればアッというに出来上がりです。
考えてみると、「より便利・より速く」を人々が求め、その実現に向けて科学・技術が発展し、企業は便利と早さへの欲望をさらにかき立てて止まないというのが今日の社会といえるのではないでしょうか。
 19世紀半ば江戸時代天保期に、豊後日田の西国筋郡代の寺西藏太という人が江戸の暮らしやすさについて書いたものが残っています。。「冬季の大福餅、暑中の冷水売(ひやみずうり)、またキワモノ売りと唱え、正月の削懸(けずりかけ)、7月の色紙短冊、日用の品と申すも刻牛蒡(きざみごぼう)、冬瓜の栽(たち)など、余りに自由を成し過ぎ候ゆえ、上下の遊惰にあい成り申し候」 寒い冬に自分で焼かなくても焼いてある温かな大福餅、夏の暑いときに欲しい冷たい水、必要な季節の間際に売り出される出来合いの正月飾り、自分で色紙を切らなくて済む七夕の短冊、自分で伐ったり刻んだりしなくてよい刻み牛蒡、既に断ち割ってある冬瓜など、自分で手をかけなくても欲しいもが手にはいり、上の者下の者も遊び怠けてしまいます、と西国郡代さんは江戸の暮らしの過剰な便利さを嘆いているわけです。キザミゴボウがスーパーに並んだのは最近かと思っていましたら、なんと江戸では150年も昔からあったんですね。
今日、スロウライフのすすめなどということを言ったり実践している人もいるようですが、これも新しいことではなく、便利さ・早さだけを追っていていいのかい?と江戸時代の日田郡代寺西さんが既に疑問を呈していたのですね。カップラーメンを食った後、日田郡代さんのことを書いている『大江戸世相夜話』(藤田 覚・中公新書)を読みながら、フンフンと頷いているところです。