Himagine雑記

思いついたときに気ままに書く雑記帳

 雅号 その2 漱石

    

中国の『晋書』の中の『孫楚伝』の「漱石枕流」(石に漱ぎ、流れに枕す)からとったといわれる「漱石」。俗世間を離れて自然に親しむという「沈石漱流」(石に枕し、流れに漱ぐ)と言うべきところを間違えて「漱石枕流」と言ってしまい、間違いを指摘された孫楚は、「石に嗽ぐのは歯を磨くためであり、流れに枕するのは耳を洗うためである」と強引にこじつけて譲らなかったという故事による。漱石さん、そうとうなへそ曲がりの負けず嫌いを自認しておったようですな。150ほども雅号をもった子規に比べれば少ないが、漱石も結構多くの雅号がある。則天居士・石居士・糸瓜先生・愚陀仏・漾虚碧堂・野辺の花・平凸凹・破障子など。このうち「平凸凹」は、子どもの頃にかかった疱瘡の跡が顔に残っていたことにちなんでいる。面白いのは「破障子」だ。妻が書いた『漱石の思い出』によると、漱石は胃が悪くしかも痔に悩んでいて、よくガスが出ていたという。そしてそれがまことに妙なる音を響かせた。ある日、家に来ていた友人がその音を聞き、まるで破れ障子の風に鳴る音だ、と形容した。漱石はその形容が気に入り、さっそく「破障子」という落款を作って書などに捺した。自分の屁の音を雅号にしたのだ。へー、これなどは、雅号というより単なるあだ名のような気がするが、本当かどうか何とも臭い話だ。こんなおふざけ漱石さんが、「菫程な小さき人に生れたし」という句を作るのだからなんだかおかしく、私は漱石にいっそう親近感を抱く。
漱石の本名は「金之助」である。この命名の由来がまた面白い。子規と同年(慶応3年)だが、生まれた日が庚申(こうしん=かのえさる)の日だった。昔から庚申の日はお籠りをして身を慎むという風習があった。また、庚申の日に生まれた子供は泥棒になるという俗信もあったが、泥棒になるのを防ぐためには、名前に金とか金偏の字をつけるとよいというまじないがあった。このような俗信やまじないにしたがって、夏目金之助という立派な名前をもらったのである。名付け親も金之助さん本人も、まさか、後世にお札の顔になるとは思ってもいなかっただろう。 (参考:『子規のココア・漱石のカステラ』坪内稔典著 NHK出版)