Himagine雑記

思いついたときに気ままに書く雑記帳

家定

第13代将軍家定
 

大河ドラマ篤姫」もいよいよ終盤に近づいた。次回はいよいよ勝・西郷の無血開城会談の場だろうか。さて、篤姫が21歳で江戸城に輿入れした相手は13代将軍家定である。ドラマでは、家定は政事はそっちのけで子どもの遊びのようなことに打ち興じ、篤姫を当惑させ或いは周囲に暗愚の将軍と思われているように描かれていた。幼少より体が弱かったのは事実のようで、歴史書には痘瘡を患ったとか、「眼口時々けいれんし、首またこれに従い、一見笑うべき奇態をなし、言語もまた稍訥にして吃るが如くなり」(『徳川慶喜公伝』)。また、アメリカ公使ハリスが江戸城で大統領のメッセージを伝え、これに返事をしようとした家定は「短い沈黙の後、自分の頭をその左肩を越えて反らしはじめた。同時に右足を踏みならし、これが3〜4回くり返された」(ハリスの日記)とある。篤姫が輿入れをした頃は脚気が最もひどく、結婚生活どころではなかったことはドラマにも描かれていた。脚気は夏の暑い盛りに悪化し、呼吸障害、心筋障害を起こし家定は安政5年7月6日、35歳の生涯を終えた。死因は脚気衝心。ハリスの日記などから、おそらくアテトーゼタイプの脳性麻痺の障害を持っていたことが考えられる。堺雅人が演じる家定は、「うつけ」の部分は演じていたが、脳性麻痺であるところは脚本にはなかったのだろう。
 私が以上のようなことを知った『徳川将軍家15代のカルテ』の著者篠田達明は、この項の最後を次のように結んでいる。
 「歴代将軍の中で9代家重と13代家定が障害者だったことは明白であろう。それでも幕府は二人を排除せず、ともに将軍の座につけたのは画期的であったと私は思う。水面下では障害者を推すことに反対した閣老もかなりいただろうし、後継者を巡るどろどろした争いがおこったかもしれない。それでも重度の障害者を将軍に選んだという事実をわたしは重視する。将軍の息子という特殊な条件下にあったとはいえ、障害者を差別することなく受け入れたのは、日本史上特筆すべき出来事であった。」

いま、家定役の堺雅人が、火事で記憶喪失になった妻を持つ男の役を、あの優しい面差しで演じているテレビドラマが始まった。